好きの追求と一生のジレンマ(笑)
一日が全部終わって、
座っている場所から、事務所の好きな景色を眺めながら、
ボッッッッサァァァァァ、としながら、
たいしたことないことを考えている無駄な時間が好きで、
それなら好きな時間を増やせば、
好きなことだけをやる一生になるのではないか?と思って、
ボッッッッサァァァァァ、とし続けていると、飽きることなく、
ボッッッッサァァァァァ、とし続けることができて、
さすがに、このままでは、
ボッッッッサァァァァァ、とした一生になるのではないか?と、
我ながら不安になるんじゃないか?と予測こそするのだけど、
飽きることなく、どころか、益々好きの沼に入って行って、
ボッッッッサァァァァァ、とし続けることができるので、
このまま一生暮らせたらどんだけ好きなことだけやって生きられる人生なのだろう、
と夢描いてはいるのだけど、
生きている中で、時々、
「好きなことや、趣味とか、夢は何ですか?」
と聞かれることがあって、正直に、
「ボッッッッサァァァァァ、とただ生きて、一生を終えることです。」
とか言うと、社会において、
すなわち、親とか、学校の先生とか、職場の上司とか、研修の場とか、恋人とか、
いわゆる他人様からの、昔からの反応が極めて良くないことは、過去の経験則から分かっているので、
正直には言わないようにして、適当に何か聞こえのいい言葉はないのかなぁ、
と探しては、その都度、まぁこの辺かなぁ、
これくらいのことを言うと、相手は納得したり嬉しいのかなぁ、
と思えることを、刹那的ながらも必死で考えて、言うようにしているのだけど、
でも、そういう人達をフと見てみると、
かなりの高い確率で、
ボッッッッサァァァァァ、としいる場面をよく目撃したりするし、
逆に、私から、
「何がしたいですか?」
と、別の時間や場で聞いたりするすると、
「ハワイのピーチサイドで、のんびりしたい。」
とか、
「残りの人生は、田舎にでも行ってのんびり暮らしたい。」
とか言うので、
「それって、ボッッッッサァァァァァ、と何もせず生きるのがしたいってことですよねぇ。
いや、今でも、あなた、仕事中でも研修中でも、
結構、居眠りしたり、自分では気づいてないだろうけど、ポォっとしている時間は、結構見受けられて、
現時点では、むしろ、多分私より、ボッケェェェェェェとしいる時間が多いと、私は思っていて、
私の言ってることと同じどころか、先行して実践してるのに、
なのに、何で、私が言う時だけ、
そんなんじゃダメだ、とか言ったり、
呆れたような顔してダメだこいつって顔したり、
怪訝な顔して説教したり、
何で、こっちから聞いてもいないのに、そんなこといちいち言うんですか?」
と、純粋な質問として、喉まで出かけるんだけど、
そういう質問すると、大抵は怒られることもまた、過去の経験則から分かっているので、
もう言わないようにしてるのだけど、
まだ一回もしていない質問の、
「他人の心配より、世界中で一番心配すべき対象は、自分だと思ったことないですか?」
を、生きているうちに、一回はしてみたいとは思っていますが、まだ一度も言ったことはありません(笑)。
多分怒られるんじゃないかなぁ、と過去の経験則からの刷り込みが入っていて、まだ誰にも聞けません(苦笑)。
だから、
「やってもいないうちに決めるな。」
という、ありがたい言葉を言ってくれる人がいても、
うーん、そうは言ってもなぁ、
と、これでも一応考えてしまうのです(苦笑)。
できなくても、できるだけのことはしたい
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ご期待頂いて、やり始めたはいいけど、
時間の経過と共に、力及ばずを実感しながら、
結果、できないことばかりに気付かされるのだけど、
せめて、できるだけのことはしたい、
と改めて思うことは時々あって、
そんな切ない夜に見上げたら、
今日は綺麗なお月様でした。
自分の、無力とか、無能とか、無価値感とか、挫折とか、切なさとか、
そういうのと真正面から向き合いながら、
せめて、できるだけのことを、せめて精一杯足掻ける人でいたいと思うのです。
いいことがたくさんあるといいですね
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道端に一輪だけ花が咲いていました。
タンポポですかね。
色んなことがあるけど、誰にもいいことがたくさんあるといいなと思いました。
よくある話でしょうけど、そう思いました。
たくさんいいことがあるといいですね。