ツヴォイ式お絵描き124「スティーブ・マックイーン」37
「シンシナティ・キッド」(原題:The Cincinnati Kid・1965年・アメリカ映画)
のスティーブ・マックイーンから。
シャイで素敵な笑顔はこうありたいという、私の見本です(笑)。
1960年代当時のマックイーン映画としては、アクションシーンはほとんどなく、
一見地味な印象を受けるのだけど、全編を通してマックイーンのカッコ良さと名演が満載で、
私は何度も観てしまいます。
彼女の実家にお邪魔して、不愛想でウエルカムでない雰囲気のご両親との気まずい時間の中、
カードの手品で一気に打ち解けて笑い合うシーンは、
全編を通すマックイーンのクールでストイックなイメージとは逆に、
優しさとシャイでオチャメな魅力が溢れて、とても印象的です。
品のない笑い方ばかりの私にとって、カッコいい男の笑顔のお手本です(苦笑)。
色んな側面があって、かつギャップに魅力が醸し出される、こんな男になりたいものです(苦笑)。
「パッケージ」の本質から、自分の人生を反省する(苦笑)
「ビジネスにおけるパッケージ」の意味とは何か?を考えた時に、
「それをすることで価値が上がるアウトプット」
と定義するとします。
そうすると見えてくることがあります
まったく同じ商品・サービスでも、
パッケージがなかったら100円
パッケージがあることによって120円
という具合です。
だとすると、社会においての自分の価値もパッケージ、すなわちアウトプットによって価値が変わるのだから、
だから、礼やマナー、言葉や言動、仕草や所作、立ち振る舞いから、他人への対応、
髪型からファッション、化粧から整形、ホームページやブログやSNSといった、ありとあらゆる、自分以外の誰かとの接点における全てのアウトプットは、
自分の価値が上がらなければ、そもそもの意味がないということになります。
「パッケージ」=「アウトプット」=「情報発信」すればするほど、
価値は下がり、人が離れて行くとしたら、こんなに恐ろしいことはありません(笑)。
だから、子供の頃から、
「挨拶はキチンとしなさい。」とか、
「いつも笑顔で人と接しなさい」とか、
「人に配慮した行動をしなさい」とか、
「人に役立つ人でいなさい」とか、
親とか先生に言われてきたのかが、最近になって理解できてきました(苦笑)。
すなわち、社会というコミュニティの中で、価値の高い人になりなさい、
というのは、すなわち、
価値の高い人でなければ、集落から「いらん」と言われるんだよ、
干されたら、一人になるよ、一人では生きていけないんだよ、
「生きる」ということは「死なない」ということと同じなんだよ、
ということとも同義なのだろうと、やっと意味として繋がってくることに気づき始めるわけです(苦笑)。
(こういう教え方しろよ、親とか先生とか先輩よ(苦笑)。)
この根本が理解できないまま、自分の言いたいことや、やりたいことだけをアウトプットしていると、
ややもすると、価値を低くして、社会から干される「パッケージ」を、
自ら、わざわざご丁寧に、創り出してしまうリスクを負うことになりかねない(笑)。
得意満面で、コストをかけて価値を高めようとしていたことは、社会からの価値をどんどん下げているとしたら、こんなに恐ろしいことはありません(苦笑)。
ホントは、素体だけなら100円なのに、
パッケージしてしまったが故に70円くらいになるなんて、目も当てられません(笑)。
この意味を考えた時・・・・・、
私は、これまでの、自分のアウトプット、すなわち、人生をかけた、知らぬ間であれ、意図したものであれ、
自分の制作してきた自らのパッケージを、反省し懺悔する必要があるかも知れない、とも思うわけです(苦笑)。
せめて、少ないながらも、誰かにとっての価値ある個体たる自分でありますように(苦笑)。
価値観が多様化している時代に、小さな可能性があることは、せめてもの救いであり(笑)、
色々と大変とも言われるけど、いい時代であり、いい環境とも言えるのですから(苦笑)。
久しぶりの胃カメラ悶絶の果てに(苦笑)
久しぶりの内視鏡検査でした。
胃カメラをブチ込むの前の喉の麻酔をしているところです。
ヒリヒリして苦いです(苦笑)。
久しぶりの胃カメラで、まぁ、もう慣れてるからいいか、と思っていましたが、
案の定、久しぶりに悶絶しました(笑)。
ただでさえ面倒くせぇと思えることばかりになってきた昨今ですが、
前提が億劫なこととなると、もう、どんだけやねん、というくらいの面倒くささの絶頂です(苦笑)。
まぁ、でも、お陰様で、問題なしの順調とのことです。
ただ、こういうのが生きている限り続くらしいので、
生きてる方がいいのか、面倒くさいだせなのか、これも怪しいもんだな、と思ったりもしますが(苦笑)、
3年前の胃ガンの手術以降、
動物としての本能で、無目的に、ただ生きようとしているだけなのか、
こうして活かせて頂ける以上、同じ生きるなら、一人間として、どうあるべきかは、
こういう検査事に、ちょっとは考えるわけで、
何も考えずに、ただヘラヘラと生きていただけの私に、
ちょっとは死生観について考える機会を頂いたのだろうと思ったりはします。
まだ明確な答えらしい答えなど、当然出てはいませんが、
今日もこうして元気にブログを書けていることに感謝して、
ありがとうございます、という気持ちは持っていたいと、
面倒くさい、と常に思う自分を反省しているところです(苦笑)。
ちなみに、当時つくった、胃ガン記念Tシャツは、誰にも反応されませんでした(苦笑)。