ツヴォイ式お絵描き135「ルー・テーズ」01

「アントニオ猪木vsルー・テーズ」(1975年10月9日・蔵前国技館)で行われたNWF世界ヘビー級選手権試合。60分1本勝負。

当時、猪木32歳、「不滅の鉄人」の異名を持つテーズは何と59歳。今の私と同じ年でこの試合だったとは改めて驚愕です(笑)。

 

試合開始早々、ロックアップから猪木がヘッドロックに入った瞬間に、

いきなりのテーズのバックドロップ!

容易に仕掛けた猪木の後頭部は、一気にマットに真っ逆さまで突き刺さります。

あわや、これで勝負が決まってしまうのではないか?と思える程の一撃で、

バックドロップはテーズの代名詞であることは知っていたものの、

初めて観たそれは、別のレスラーとはまるで違っていて、小学4年生の私は衝撃を受けました。

(観ていたのは、何故か祖父母と一緒の温存宿の部屋(笑))

「ヘソで投げる」と称され始めたのは、それから随分後になってのことです。

 

小学生でもできるといえばできるプロレス技を、全く別物の破壊力と説得力で魅せきるのが、本物のプロなのだと思います。

自分の仕事の矜恃とは、こうでありたいですね。中々なれませんが(苦笑)。

 

 

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

ツヴォイ式お絵描き134「ビル・ロビンソン」16

「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」(1975年12月11日・蔵前国技館)

で、ロープ際の攻防から猪木を場外に投げ捨てるロビンソン。

ロビンソンが、試合の転換でよく見せる場面ですが、場外に共に雪崩落ちる二人の軌道も、絵になっているのがスゴイところだと思っています(笑)。

果して、これを「フロント・スープレックス」と呼べるかどうかはそれぞれにお任せするとして、

(私は、長く認知できていなかったが(笑)、後年プロレス雑誌に書いてあって、そうとあも言えるな、といいように捉えた(笑)。)

仮にフロント・スープレックスと設定するなら、

この日、ロビンソンは、当時の全てとも言える4大スープレックスの全てで猪木を投げたことになるわけで、

あの当時の猪木がここまで投げられていたことになるのかと。

代名詞の「ダブルアーム・スープレックス」に及んでは、この日2回という入れ込みよう。

多くの人が、この試合は見る度に新しい発見があると言いますが、本当にそうだと思うし、

それが芸術的試合だと語り継がれる由縁でもあると思うのです。

これで、この日のロビンソンのスープレックスはフルコンプできました(笑)。

 

これまでの猪木vsロビンソンのGIF動画はコチラ

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

「言い訳」のできる人生でいたい

満月かどうか分からないけど、

今日は満月なんじゃないかな?と思える深夜のお月様でした。

ふぅ、と一息つきながら、フと、

「自分にちゃんと『言い訳』ができるだけやったんかなぁ」

と自問する時はあります。

 

エンドレスで深夜までとか徹夜でカスタマイズで誰かと課題解決したり、

限られた時間の範囲での打ち合わせであれ、

無理難題だろうが、何とかしようと全力を尽くして、限界までやって、

それでもうまくいかない時もあって、挫折感とか限界に包まれたりして、

それが他人から見て、全然甘い、できていないと評価されたとしても、

「俺はやれるだけのことは全部やった、それでもダメと言うなら矢でも鉄砲でも持ってこい、

どうあれ、結果は全部丸ごと飲み込みゃいいんだろ、

ほっとけや。」

と開き直って、

ここまでやってできないんだから、

もう俺の「努力」のせいじゃない、

「遺伝」とか「才能」とか「運」の問題だ、

と誰あろう自分で自分に正々堂々言い訳ができたのなら、

それは勝ちだろう、

という意味で、「言い訳」とか「他責」とか「開き直り」までいけたのかどうかは、時々フと考えたりします。

 

そして、サボリ癖のある私は、いまだに一度もちゃんと「言い訳」できてなかったりします(苦笑)。

あぁ、せめて自分に「言い訳」したい(笑)。

 

応援クリックお願いします~。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

続きを見る

ページの先頭へ