遥かなる見果てぬ夢を追い続ける自分でいたい

1970年代から、日本プロレス界を代表する、あの人とあの人がリングの上で戦うことを、随分と長く夢見ててました。

思えば、最も長くリアルに見続けていた夢だったかもしれません。

今は、きっと夢は夢のままで良かったのだろうな、と思いつつ、

もし戦っていたら、空手チョップとナックルパートの応酬、16文キックとドロップキックの攻防と、

夢描いていたリングの上の空想の世界を、何とか実現させようと、

気づけば、AI動画の色んな制限を越えようと、四苦八苦しながら何とか実現させようとしている自分を、

私は結構好きだったりします(笑)。

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その時に感じることと、結果としての認識に柔軟でいたい。


久しぶりの街に出てみると、知らぬ間に、今までとは変わっていることは確実にあって、

それは、環境や状況によって、適応していくのが前提ながら、

あぁ良かったな、と思うことと、大変だなぁ、と思うことの両方があります。

物事には、もちろん、光もあれば影もあるわけで、

その比率は、できれば良いと思える事の方が多いといいなぁ、と思いますが、

もう片方で、どんな物事でも、どう認識するかは、人によって変わるとも言えて、

私の場合だと、家業廃業という事象は、その後の株式上場の経験によって、認識が変わるようなもので、

だとすると、どんな変化であっても、誰にっても、結果的に良かったな、と本人が思えるといいな、と思います。

ただ、ココの考え方が結構問題で、

何でもかんでも、不幸や怒りや悲しみにして、ギャアギャア言う奇特な人は、当然ながら決していいとは思いませんが、

逆に、何でもかんでも、ハッピーでラッキーで楽しくて「ついてる」と、強引に100%で認識しようとする人にも、強烈な違和感があって、

その時に感じたことを、自分が感じたこととして、その時はしっかり認識しておいて、

後から、結果として、いい体験・経験だったとなればいいなと思います。

だとすると、要するに、まぁ人生、成長し続けるしかないんだろ、となって、あぁ、もう面倒くせぇなぁ、と思うのが、

久しぶりの街を見た今の私の感情です(苦笑)。

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「学んだこと」と「できること」は違う(苦笑)

「絶対に諦めない」

という、ダンディズムとカッコ良さと憧れを、私は若い頃に観た数多くの映画から学びましたが、

ただ、学んだことが、できるようになったかと言うと、そうではなく、

面倒くさくなったり、飽きたりして、継続できなくて、すぐに諦めるという、個体としての根本がどうしようもない自分がいるわけで(苦笑)、

この年になって、憧れや、学んだことが、できるか?というと、決してそうではないことを学びました(苦笑)。

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