ツヴォイ式お絵描き137「ドリー・ファンク・ジュニア」01
1975年・全日本プロレス「オープン選手権」の開幕戦、
「ドリー・ファンク・ジュニアvsアブドーラ・ザ・ブッチャー」戦(1975年12月6日・東京・足立区体育館)
で、ドリーがブッチャーに、見事に決めた「ブレーンバスター」!
私の知る限り、対ブッチャー元祖ブレーンバスターです。
この日のテレビ中継は、
この試合はじめ、
「ジャイアント馬場vsバロン・フォン・ラシク」
「ハーリー・レイスvsダスティ・ローデス」
の試合も放送され、
それまで日本人vs外人の勧善懲悪のマッチメイクしか知らなかった小学校四年生の私は、
外人同士の対決をどう観たらいいのか、新鮮な戸惑いを感じながらテレビを観ていました(笑)。
ブッチャーは、馬場・鶴田・デストロイヤーの日本勢を、凶器攻撃で痛めつける悪の権化が確立されていましたが、
久しぶり来日となったドリーのことは、元NWA世界チャンピオンという経歴を聞く程度で、
登場した時は、ハゲの外人のオッサンにしか見えなく(笑)、
一体何がそんなにスゴくて、強いと言われているのか全く分かりませんでした。
あのブッチャーと、正義の正統派スタイルで互角以上にやり合う試合展開に魅了されつつ、
そして、この日の最大の魅せ場のこの一発。
誰も持ち上げることなどできないと思っていたブッチャーを、強引かつ見事にブレーンバスターで持ち上げた時は、
「あのブッチャーを持ち上げるなんて!」
驚愕と共に完全にやられてしまいました(笑)。
ブッチャーがデヴ過ぎて(笑)、横に流れながら叩きつけられるのも、とてもリアリティがありました。
どんな無知な子供相手にも、一瞬で魅了してしまう力と凄みこそが、世界の名レスラーの由縁なのだと思います。
この1975年というのは、新日本では「猪木vsロビンソン」の対決があったり、
このオープン選手権は、毎日が「夢の対決」オンパレードの外人レスラーオールスターで、
すごいプロレス全盛の時代だったのだと改めて思います。
今なら、全興行を一緒に巡業するのを本気で考えたのではないかと思います(笑)。
しかし、これらの試合が「足立区体育館」で行われていたというのも、別の意味で驚きで(笑)、
このシリーズを伝説的なものにしていると思います。
その四年後に、「夢のオールスター戦」で猪木がブッチャーを、同じ技で投げることになって、
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当時、幼少から青春期の私のプロレス観は、ドリーと猪木、そして猪木と互角以上の戦いを魅せたロビンソンは、別格となってきます。
猪木のブレーンバスターとの比較はコチラで
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甘美な魔力と曖昧な理性の迷宮(笑)
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先日、友人に連れて行ってもらった、一人では絶対に行かないお店で、
この出逢いを逃したら、一生会えないであろうイカしたジャケット(笑)に出会ってしまって、
危うく買いそうになりました(笑)。
久しぶりに、消費動機の甘美な魔力の前に、
曖昧な誘惑と理性の狭間の冒険を堪能できました(笑)。
ちなみに、これも危うく買いそうになりました(笑)。
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昭和の得体の知れないクネクネ人形です(笑)。
はや4年前のコロナと、3年前の胃ガン手術以降、ホントに外に出なくなりましたが、
こんな誘惑があるなら、面倒くさがらずに、またあちこち行って、
悶絶するのがとても大事だと思いました(笑)。
ツヴォイ式お絵描き136「アントニオ猪木」16
「8.26夢のオールスター戦」(1979年8月26日・日本武道館)のメインイベント
「ジャイアント馬場&アントニオ猪木vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェットシン」
での最大のハイライトは、何といっても、猪木がブッチャーに放ったこの「ブレーンバスター」!
何とか8月26日にアップしたかったのですが(笑)、越えてしまいました(笑)。
当時のデヴ&巨漢の代名詞であるブッチャーを投げ技で決めるというのは、当時の私としては、余程の実力と格がないと不可能で、
それまでに実現したのは、記憶している限り、1975年の「オープン選手権」で、ドリーファンク・Jr(元NWA世界ヘビー級選手権者)のみでした。
この大会は当時テレビ中継はなく、深夜のダイジェスト版を興奮しながら観ていた私は、
大舞台でのこの猪木の一発で、さらにここまで綺麗にブッチャーを投げるで、
やはりアントニオ猪木の「プロレスラー」世界一を実感するのでした。
「8・26夢のオールスター戦」のイラスト&思い入れはコチラで。
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