究極の幸せは、果たして幸せなのか?(苦笑)
こうも暑いと、冷凍カプセルの中に入って、AIロボットに管理してもらって、涼しい中でスヤスヤと寝てれば究極の幸せじゃん、
と思うのだけど、
永遠に寝続けるというのは、生きていないのと同じじゃん、と不安になるので、AIロボットに、
「必要な時に起こして。」
と指示しておいたらいいのか、と思うのだけど、
「世の中で、あなたが必要な時は、今のところ確認できません。永遠に寝ていて大丈夫です。」
と明確に答えられそうで(笑)、それはそれで、現実だとしても受け入れるのが恐い、となるのが普通なのではないか?と思うのだけど(苦笑)、
それでも、私は、暑いのは苦手だから、冷凍カプセルに入って、永遠に涼しくスヤスヤと寝ていられるのが幸せと言い切れる自信あります(苦笑)。
どっちが正しいかの議論が不毛に思える時(苦笑)
「みんなと楽しく話しているのが勉強になる」
とか言って、ギャアギャア喋ってるだけのように見える人と、
「みんなが楽しんでいる間にも、それを尻目に勉強してる」
というストイックな人と、
どっちが勉強で、どっちが成果を出す方法なのかよく分からないけど、
どっちからでも成果を出す人と、どっちやっても成果出せない人がいるような気がせんでもないわけで(苦笑)、
でもそうなると、できる奴は何やってもできて、できない奴は何やってもできない、
という、元も子もない現実を目の当たりにするようで、認めたくないので、まだ大した実績もない奴同士が、どっちがどうとか言ってたいだけのような気がする(苦笑)。
1985年のスタジャンが教えてくれる40年の愚かな自分(苦笑)
大学2年生の20歳の頃、
アメリカの匂いがプンプンするスタジャンに憧れて、
欲しくて欲しくて、当時発行された500円玉を一所懸命貯金して、
アメカジの名店「渋谷バックドロップ」でシニール(ワッペン)カスタムして買いました。
当時は宝物のように大切に着ては、色んな場所に行きました。
滅多に行かなかった大学、毎日のようなアルバイト、学生プロレスの試合会場、渋谷109前のイベントの司会、デート、名古屋への帰省・・・・・・、
記念のピンバッジや缶バッジが少しづつ増えながら、
ロクな経験ではないけれど(笑)、色んな経験を一緒にたくさんしてきました。
袖を通す度に、
「50歳になっても、着ていたいな。着ていられるかな。
50歳になったら、どんな自分になっているのかな。」
30年後の未来の自分に、淡い期待と、大きな不安が交錯するように想いを馳せいていました。
社会に出てからは、滅多に着ることは無くなったけど、手放さずに、時折見ては、あれからの自分の月日を振り返ったりしました。
気が付けば、50歳はとっくに過ぎ、いつの間にか60歳になって、40年が経っていました(笑)。
あれからたくさんの色んなことがあって、今に至るわけで、当時に自分に言ってあげたい。
「50歳はクリアして、ちゃんとまだ持ってるからね。でもロクな人生でもないからあんまり期待しないでね。」(笑)
あの時の自分を裏切ってはいけないと戒めを込めて、次の10年は、あの時の自分を裏切らないように(苦笑)、
今は、事務所の壁面にディスプレイして、一緒に時を刻んでいます。