自然体でいたいことの不自然(苦笑)
家の近くの氏神様に初詣に行った際に、
こんなとこにちょっとした自然が残ってるんだなぁ、と気づいて、
自然体でいるような雰囲気の写真にちょうどいいと撮りました。
無理をせず、自然体で生きていくのが一番いいと思っているのだけど、
現実はなかなかそうはいかないわけで、
でも、こうして、いかにも私は自然体でいますよ、とアピールしたくなるわけで(笑)、
人にどう思われたいか、見られたいか、という意図は、
そもそも自然体ではないのではないか?
とも思うし、
あぁ、こうして何を投稿するか考えるの面倒くせぇな、
と思いながら投稿していること自体、まるで自然体でないとも言えるわけで(笑)、
そもそも、私のようなグウタラ極まりなく、特に人生を掛けて何がしたいなど考えないと出てこないような人間は、
「何もしないこと」が最も正直な自然体だと思うわけで(苦笑)、
自然体でないことを自然体です、ということに違和感を覚えながら、
それでもこうして、きっと何かの為に何かを情報発信する動機はあるわけだから、
本当のところの解明はなかなかできないながらも、
まぁ、人の個体によって色々事情はあるのだろうけど、
せめて、失敗の数を増やしながら、ただ一所懸命生きる、ことだけは今年もしていきたいと思うのでした(苦笑)。
無駄はダメにするのか価値創造か?(苦笑)
昔、粘土で創ったヘビがあったので、ヘビ年だから人形と並べてみた(笑)。
当時は何も考えずに創っただけだけど、
一度創れば、12年に一回は登場し続ける長期思考とも言える、と後になって気づく(笑)。
暇だと人間がダメになる、という見解はあって、それはそうだなと思う反面、
暇じゃないと、無駄なものを創り出すことができなくて、
そもそも無駄こそはクリエイティブであり、人類の新たな価値創造の源と私は思っているので、
暇で、無駄なことをやるのが、忙しいということになると、
ダメになるのか、新たな価値を生み出す活動をしているのか、果たしてどっちなんだろうか?
と、こういう時に困惑します(笑)。
この困惑そのものが無駄だと気付いてたりもしますが(苦笑)。
ツヴォイ式お絵描き159「アントニオ猪木」17
ヘビ年なので、今年最初のプロレスGIF動画は「コブラツイスト」(笑)。
「アントニオ猪木vsジョニー・パワーズ」戦
(1973年12月10日 東京体育館 NWF世界ヘビー級選手権)
記念すべき猪木がNWF世界ヘビー級チャンピオンになった試合の一本目で、見事にギブアップ勝ちした、思い出深いコブラツイストのシーンです。
私が8歳だった当時のこの試合はテレビ中継で観ていて、猪木が挑戦していく雄姿は何しろカッコ良く、
それまでは祖父の家に遊びに行った時にのみ観ていたプロレスは、
この試合以降、私のプロレス熱は強烈に高まっていき、人生に影響していくこととなります。
特にこのシーンは、私にとっては記憶に残っていて、そういう経験の一つ一つが、その人の価値観や人生を重ねていくのでしょうね。
今この瞬間の経験が、そのまま次がまた楽しみになる動機の布石になって、その連続を創り出すことが、
ビジネスにおける大切なシナリオ思考である認識は、
私は明らかにプロレスから影響を受けていると思っています(笑)。