ホラー化を避けようとしたらホラー映画だった(苦笑)

お年頃なのか、最近、顔面がどんどん汚くなっていると言っていたら(笑)、

ちゃんとお手入れした方がいいですよ、と、顔面に何かする何かを頂くことがあって、

おぉ、それじゃ、やってみよー、と付けてみたら、

ホラー映画みたいになって(笑)、

どっちにしても醜いものは醜いんじゃん、と悟りました(苦笑)。

 

一人でいる時のホラー映画状態を我慢する時間と、

リアルのホラー映画を人に晒す時間と、

どっちが、ホラー映画を自覚しなきやわいけない時間が長いんだ、俺は?(苦笑)

 

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「選択肢」の前提は「領域」にある

「選択肢は多い方がいい」

とは思っているのだけど、

「ある領域において」

というのは必ず前提になる。

 

ブレストのような場では、できるだけ「領域を外す」という領域になるし、

月次営業会議のような場では、「1ヵ月以内に実現可能な範囲」での選択肢となる。

 

以前あった出来事をよく思い出すのですが、

「現状打破の為には、脳のリミッターを外して発想することが大事です!多くの斬新なアイデアが欲しいから、忌憚のない発言をお願いします。まずは、多くの選択肢が欲しいので、皆さん(6人くらい)一人づつ、ご意見をお願いします。」

と、クソ寝ぼけてる朝の会議の場で、議長が突然言う場があって、

(いきなり、なんか面倒くせぇなぁ・・・)

と思っていたら、

「それではまずツヴォイさんから」

と、案の定、私が一番最初に当てられて(笑)、

(こういう場面で何故かよく最初に当てられる(苦笑)。私が議長なら、絶対に私などに最初に当てない(笑)。)

何かをしたい議長の気持ちもよく分かるから、精一杯協力しようと、頭を切り替えて、

その場で瞬時にリミッターを外して、忌憚のない発言をでしたら、

(何を発言したかは忘れた(笑))

 

「それはダメですよ・・・・。」

と、即座に、議長が怪訝な顔して言うので、

私は、私なりに困ってしまって、

「あの~、すいません。「ダメ」ってことは、じゃあ、リミッターはあるし、忌憚はあるってことじゃないですかぁ。

っていうか、いきなり今日はリミッター外せ、などと急に言われて、

かつ、考える時間も与えられずに、最初に当てられて、それでも文句言わずに答えて、あなたの会議進行に協力したのに、

かつ、全員に聞くと言いながら、全員に聞く前に、私の最初の発言に「ダメ」って、それなら、

①先に「ダメ」な領域のフレームを設定してもらうか、

②私をモルモットに使って、何となく全体のフレームを雰囲気で作りたかったか、

③ホントは自分が思い通りにしたいことがあるのだけど、あたかも全員から意見を聞いたという事実を作りあげて、うまく持っていきたかっただけなのか、

④一度、こういう会議をやってみたい個人的願望を叶えたかったのか、

⑤それ以外に、別の意図があるのか、

もう面倒くさいから、先に言って下さい。その意向に沿って、メンバーとして全力を尽くして発言しますから。

というようなことを、私なりに打開しようとして言ったら、

(「だから、面倒くせぇんだよ、こういうのは」、とまでは言ってません(笑)。)

その議長は、黙ったまま、じっと私を見つめ続けるだけで、

参加者も黙る沈黙の時間が続いて、

(ちなみにメンバーは、私以外は、一人を除いて全員年上。この状況も苦手(苦笑)。)

そのうち、誰かの「まぁ、進めましょ」一言で、いつも通りの代わり映えのしない会議になっていくのだけど(笑)、

私は、単に議長の顔をつぶしただけのような、会議に水を差した犯罪者のような、言いようのない罪悪感にかられて(苦笑)、

反省とも、哀しみとも、何とも言えない気持ちに包まれるのでした(苦笑)。

 

「脳のリミッターを外せ」

というのは、よく聞くのですが、

①「『脳のリミッターを外せ』と言っている人のリミッターの範囲内」

という前提がある現実は外せないのだろうと思うし、

②「脳のリミッターを外す」会議や場を作る知識や経験や、基づく準備も含めた、主催者の能力の程度もあるだろうし、

③その会議の目的が、「そういう会議をやって経験してみる場」なのか「目標達成の方法を意思決定する場」なのか、そもそもの目的にもよるわけで、

 

あの時、私はどうするのが良かったのか・・・・

①「アヒャヒャヒャヒャ、やっぱりそうですよねぇ、アホ過ぎてすんまそん。ちょっと調子に乗り過ぎたんで、他の人の意見を聞いて勉強させていただきマンモス。」

とか言って、なんとなく丸めれば良かったのか、

でもそうすると、いつも通り程度の意見しか出ない、何の斬新なアイデアも出ないことになって、会議の目的は叶わなくて、結局今まで通りじゃんとなってしまうだろうし、

 

②「う~ん、なるほど、難しいですねぇ。」

とか何とか言って、何か考えるフリして、他の人が何か喋り出すのを待って、

そのままの流れに沿っていって、私もその範囲で何か適当に合わせていって、今日はいい会議だったと満足させてあげれるのがいいのか、

でもそうなるのが目に見えているから、一番最初に私を指名したんでしょ、とも思うし、

結果、いつも通り程度の意見しか出ない、何の斬新なアイデアも出ないことになって、会議の目的は叶わなくて、結局今まで通りじゃんとなってしまうだろうし、

(ここコピペ(笑))

 

「コミュニティの人間関係を良好に保つことと、成果状態」は必ずしも正比例しないわけで、

この問題について、私はいまだに解決ができていません。

 

昨今のビジネス環境において、「新しいアイデア」とか「発想力」とか「新たな価値」とか、

これほどまでによく言われている言葉に関わらず、

その具体的なアウトプットは、あまりにも個体によって圧倒差が出てしまって、

相当に限られた人しか市場価値は生まれません。

 

でも、人は自分の「アイデア」や「発想力」は、数値化できないが故に、

自分には何となくある、と思い込みたく、諦めたくないのではないか思うのです。

(少なくとも私は自分にはあると思い込みたい(笑)。)

 

この問題については、今のところ、

そうか、私がサルだから、サルが何匹集まってもサルはサル。そういうことか。

と纏めてしまって、逃げているのですが(笑)、

自分の中での納得たる解決ができていない故に、

事務所の壁面にかかった、

「レザージャケットという領域」の中の「バリエーションという選択肢」を見る度に、

当時の苦い感情と、解決しないであろう問題の納得へと想いを巡らせるのです(苦笑)。

 

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好きの追求と一生のジレンマ(笑)

一日が全部終わって、

座っている場所から、事務所の好きな景色を眺めながら、

ボッッッッサァァァァァ、としながら、

たいしたことないことを考えている無駄な時間が好きで、

それなら好きな時間を増やせば、

好きなことだけをやる一生になるのではないか?と思って、

ボッッッッサァァァァァ、とし続けていると、飽きることなく、

ボッッッッサァァァァァ、とし続けることができて、

さすがに、このままでは、

ボッッッッサァァァァァ、とした一生になるのではないか?と、

我ながら不安になるんじゃないか?と予測こそするのだけど、

飽きることなく、どころか、益々好きの沼に入って行って、

ボッッッッサァァァァァ、とし続けることができるので、

このまま一生暮らせたらどんだけ好きなことだけやって生きられる人生なのだろう、

と夢描いてはいるのだけど、

 

生きている中で、時々、

「好きなことや、趣味とか、夢は何ですか?」

と聞かれることがあって、正直に、

「ボッッッッサァァァァァ、とただ生きて、一生を終えることです。」

とか言うと、社会において、

すなわち、親とか、学校の先生とか、職場の上司とか、研修の場とか、恋人とか、

いわゆる他人様からの、昔からの反応が極めて良くないことは、過去の経験則から分かっているので、

正直には言わないようにして、適当に何か聞こえのいい言葉はないのかなぁ、

と探しては、その都度、まぁこの辺かなぁ、

これくらいのことを言うと、相手は納得したり嬉しいのかなぁ、

と思えることを、刹那的ながらも必死で考えて、言うようにしているのだけど、

 

でも、そういう人達をフと見てみると、

かなりの高い確率で、

ボッッッッサァァァァァ、としいる場面をよく目撃したりするし、

逆に、私から、

「何がしたいですか?」

と、別の時間や場で聞いたりするすると、

「ハワイのピーチサイドで、のんびりしたい。」

とか、

「残りの人生は、田舎にでも行ってのんびり暮らしたい。」

とか言うので、

「それって、ボッッッッサァァァァァ、と何もせず生きるのがしたいってことですよねぇ。

いや、今でも、あなた、仕事中でも研修中でも、

結構、居眠りしたり、自分では気づいてないだろうけど、ポォっとしている時間は、結構見受けられて、

現時点では、むしろ、多分私より、ボッケェェェェェェとしいる時間が多いと、私は思っていて、

私の言ってることと同じどころか、先行して実践してるのに、

なのに、何で、私が言う時だけ、

そんなんじゃダメだ、とか言ったり、

呆れたような顔してダメだこいつって顔したり、

怪訝な顔して説教したり、

何で、こっちから聞いてもいないのに、そんなこといちいち言うんですか?」

と、純粋な質問として、喉まで出かけるんだけど、

そういう質問すると、大抵は怒られることもまた、過去の経験則から分かっているので、

もう言わないようにしてるのだけど、

まだ一回もしていない質問の、

「他人の心配より、世界中で一番心配すべき対象は、自分だと思ったことないですか?」

を、生きているうちに、一回はしてみたいとは思っていますが、まだ一度も言ったことはありません(笑)。

多分怒られるんじゃないかなぁ、と過去の経験則からの刷り込みが入っていて、まだ誰にも聞けません(苦笑)。

 

だから、

「やってもいないうちに決めるな。」

という、ありがたい言葉を言ってくれる人がいても、

うーん、そうは言ってもなぁ、

と、これでも一応考えてしまうのです(苦笑)。

 

 

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