本当の価値や財産って何だろう?

今日の名古屋は、さらに何でこんなに暑いんだよ、と思っていたら、
ピンポンが鳴ったので出てみたら、村上 晴紀が朝っぱらのAM9時半からシャッターの前に立っていやがって(笑)、ムカつきました(笑)。
あんまりウザくて頭にきたので、PM8時まで延々と事務所で引っ張ってやりましたが(笑)、よく考えたら、徹夜明けの私が後悔していました(笑)。
私が最後にリアルで会えた時から、村上の目は、明らかに悪くなっているのが、その所作から分かりました。
そんな状態で、何で、京都に行って名張に戻る前に、名古屋で降りて、ここまで来るんだよ、と聞いたら、
村上は、オンラインサロンに入って、メンバーの皆さんと出逢い触れ合うことで、
今までには出逢わなかった人達と触れ合うことで、今までの人生にはなかった多くの気持ちや価値観、感動を知るキッカケになって、
だから、まだ大丈夫なうちに、できるだけ多くの場で、できるだけ多くの多彩な人と会うことにした、と言っていました。
それは何より自分の人生を感動的で豊かにしていくと今は実感している、と言っていました。
それを聞きながら、それは、私や私達は、そっくり君の人生や生き方から学ばせてもらっていることなんだよ、と、言いそうになりましたが、
別のアホ話に夢中になったのと、言うと調子ブっこいてウザくなると思って、言うのをやめておきました(笑)。
気がついたら夜になっていたので、面倒くさかったですが(笑)、近鉄名古屋駅まで送りました。
村上の右手を、私の左肩において、一緒に歩きました。
名古屋駅に近づくにつれて、混み合う人波の中、どんな風に見えるのか考えると、こいつとはちょっと気持ち悪いなぁと思いました{笑)。
今、どんな感じで見えるのか?とか聞いてみたら、チクワの穴くらいと言うので、ちょっとやってみて歩いてみました。
適当な話をしながら、私は色んなことを考えました。
近鉄名古屋駅の改札に入った村上が、
デブの身体でゆっくりゆっくり一歩一歩丁寧に進む姿を見送りながら、
人生や、オンラインサロンの価値の再設計を模索している私は、とても大切なことを学ばせて頂いたと感謝しました。
もう二度と会えるといいな、と思いました(笑)。
ツヴォイ式お絵描き124「スティーブ・マックイーン」37

「シンシナティ・キッド」(原題:The Cincinnati Kid・1965年・アメリカ映画)
のスティーブ・マックイーンから。
シャイで素敵な笑顔はこうありたいという、私の見本です(笑)。
1960年代当時のマックイーン映画としては、アクションシーンはほとんどなく、
一見地味な印象を受けるのだけど、全編を通してマックイーンのカッコ良さと名演が満載で、
私は何度も観てしまいます。
彼女の実家にお邪魔して、不愛想でウエルカムでない雰囲気のご両親との気まずい時間の中、
カードの手品で一気に打ち解けて笑い合うシーンは、
全編を通すマックイーンのクールでストイックなイメージとは逆に、
優しさとシャイでオチャメな魅力が溢れて、とても印象的です。
品のない笑い方ばかりの私にとって、カッコいい男の笑顔のお手本です(苦笑)。
色んな側面があって、かつギャップに魅力が醸し出される、こんな男になりたいものです(苦笑)。
「パッケージ」の本質から、自分の人生を反省する(苦笑)

「ビジネスにおけるパッケージ」の意味とは何か?を考えた時に、
「それをすることで価値が上がるアウトプット」
と定義するとします。
そうすると見えてくることがあります
まったく同じ商品・サービスでも、
パッケージがなかったら100円
パッケージがあることによって120円
という具合です。
だとすると、社会においての自分の価値もパッケージ、すなわちアウトプットによって価値が変わるのだから、
だから、礼やマナー、言葉や言動、仕草や所作、立ち振る舞いから、他人への対応、
髪型からファッション、化粧から整形、ホームページやブログやSNSといった、ありとあらゆる、自分以外の誰かとの接点における全てのアウトプットは、
自分の価値が上がらなければ、そもそもの意味がないということになります。
「パッケージ」=「アウトプット」=「情報発信」すればするほど、
価値は下がり、人が離れて行くとしたら、こんなに恐ろしいことはありません(笑)。
だから、子供の頃から、
「挨拶はキチンとしなさい。」とか、
「いつも笑顔で人と接しなさい」とか、
「人に配慮した行動をしなさい」とか、
「人に役立つ人でいなさい」とか、
親とか先生に言われてきたのかが、最近になって理解できてきました(苦笑)。
すなわち、社会というコミュニティの中で、価値の高い人になりなさい、
というのは、すなわち、
価値の高い人でなければ、集落から「いらん」と言われるんだよ、
干されたら、一人になるよ、一人では生きていけないんだよ、
「生きる」ということは「死なない」ということと同じなんだよ、
ということとも同義なのだろうと、やっと意味として繋がってくることに気づき始めるわけです(苦笑)。
(こういう教え方しろよ、親とか先生とか先輩よ(苦笑)。)
この根本が理解できないまま、自分の言いたいことや、やりたいことだけをアウトプットしていると、
ややもすると、価値を低くして、社会から干される「パッケージ」を、
自ら、わざわざご丁寧に、創り出してしまうリスクを負うことになりかねない(笑)。
得意満面で、コストをかけて価値を高めようとしていたことは、社会からの価値をどんどん下げているとしたら、こんなに恐ろしいことはありません(苦笑)。
ホントは、素体だけなら100円なのに、
パッケージしてしまったが故に70円くらいになるなんて、目も当てられません(笑)。
この意味を考えた時・・・・・、
私は、これまでの、自分のアウトプット、すなわち、人生をかけた、知らぬ間であれ、意図したものであれ、
自分の制作してきた自らのパッケージを、反省し懺悔する必要があるかも知れない、とも思うわけです(苦笑)。
せめて、少ないながらも、誰かにとっての価値ある個体たる自分でありますように(苦笑)。
価値観が多様化している時代に、小さな可能性があることは、せめてもの救いであり(笑)、
色々と大変とも言われるけど、いい時代であり、いい環境とも言えるのですから(苦笑)。