心に刻まれた言葉「お前は動くからだよ」
「オレ、今、何でこんなとこにいるんだろう?」
と思うことがあって(笑)、今日はそういう日だったんだけど(笑)、
でも、そんなこと誰かに聞いても、
「知らんがな。」
と言われることは安易に想像できるわけで(笑)、
そういう時は、自分で考えるしかない(笑)。
同様に、
「なんでこんなことしてんだろう?」
とか、
「頭では分かってるのに、何でやんないんだろう?」
とか、
「これからどうしていけばいいんだろう?」
といったこともあるのだろうけど、そういう時も、同様に、自分で考えるしかないわけで、
そんなことはホントは誰もが分かっているはずなのに、
他人がそういうことを聞いてきた時に、
「知らんがな。」
というと、角が立つからやめといた方がいいんだろうな、とは思う(笑)。
でも、仮に、親身になって、本気になって、時間をかけて、その人以上に考えた上で、どうすればいいのかを、具体的にアドバイスしたとしても、
その通りに実際に行動してみる人は、極めて少ない現実はあるわけで(笑)、
ということは、それを聞いてくる人は、
① 本当の本当にそうは思っていない(笑)
② 本当に思っているかも知れないけど、切羽詰まっているわけでもない(笑)
③ ただ自分の話を聞いてほしいだけ(笑)
④ 大して何も考えずに、喋っているだけ(笑)、
あたりではないか?と思ったりするわけで(笑)、
そういう人というのは、闇雲に、他人の命とも言える、貴重な人生時間を奪っているとも言えるわけで(苦笑)、
周りにそういう人の数がやたら増えて、そういう経験がやたらめったら積み重なってくると、
えぇ加減、人の言った言葉を間に受けるのは良くないことだな、
と気付いてきて(笑)、
考えついた、一番簡単な方法は、
「私が考えてもいいし、具体的な行動を伝えてもいいけど、お金が発生しますよ。」
ということで(笑)、これは、初動段階として極めて有効です(笑)。
こういう記事を書いていると、ある出来事を思い出します。
以前、家業の経営に苦しんでいた20代後半当時、
私の相談や悩みに対して、とても忙しいのに、親身になって相談に乗ってくれる、名古屋でも有名なある経営者の先輩がいました。
その方は、当時、独創的な事業展開で急成長を遂げている最中で、とてもお忙しい人だったに関わらず、その頻度や時間が私の想定外なほどに多かったので、いい加減不思議に思って、ある日聞きました。
「どうして、◯ ◯ さんは、一銭の得にもならないし、何のメリットもないだろう私だし、相談してくる沢山の人がいるのに、どうして私なんかの為に、こんなに時間をつくって下さったり、まるで自分ごとのように、関わってくれるのですか?」
その方が即答された、端的で明確な言葉は忘れません。
「お前は、行動するからだよ。」
と一言。
続けて言いました。
「あのな、ツヴォイ、お前の言うように、オレにアドバイスを求めてくる奴は、確かにたくさんいるよ。
でもな、ほとんどの人は、『はぁ、はぁ、なるほど、なぁるほど』と言ってその時は聞いているけど、そんで何にもやらないんだよ。
あとは、『でも、これがあぁだから、あれがこうだから』と言ってやらないんだよ。
あとは、自分にとって都合の良い、気にいる方法を探してるか。
要は、言っても、やらんのだよ。
それに対してお前は言われたことをすぐに動く。
だから、こっちからしても、やり甲斐があるし、面白い。
オレも昔、業績回復の為に必死にやっていた時があったけど、調子がよくなってきた今、お前の素っ裸で挑んでくる姿に、教えられることがある。
あの時の自分の気持ちをいつの間にか忘れてるんじゃないかと、時々お前に教えられるんだよ。
いいか、ツヴォイ、お前は夢にも俺に何かを教えているなんて思ってないだうが、そういう意味では、お前と俺はフィフティフィフティなんだよ。」
これを言ってもらえたことが、その後の私にとってどれ程大きなことだかったか。
確かに、その方のアドバイスは、一般的な経営の常識からすると逸脱したような具体策で、
一見すると理屈は通るけど、でもやるには自分の価値観など100%外さないとできないようなことばかりでした。
社長である父親や、古株の社員さん達に簡単に共感を得られるようなことは一つもありませんでした。
何しろ、やるだけやってみようとしている私ですら、いくらなんでも、社長や社員の心情を考えると、それは無理だろうと尻込みすることばかりでしたから。
実際、この時期、父親でもある社長からも「秀樹は◯◯◯◯だ。」呆れ果てられ、社員さん達からも口すら聞いてもらえない状況に陥ったりもしました。
簡単に「行動」と言うけれど、それは、リスクでもあることを嫌というほど知った時期でもあります。
でも、私にとっては、自社のそれまでの常識では、健全な経営にするには到底不可能であったことも十分過ぎるほど分かっていて、
だから、藁をもすがる想いもあって相談していた自分を知っていたからこそ、
仮に100%無理だろうな、と思えるような案でも、出されたら、やるだけはやっていた時期でした。
どれもこれも上手くいったとは言えなかったし、やればやるほど次の課題がまたやってくるような、そんなことをやり続けながら、
でも、その後、年間4500万の赤字の会社は、数年で年間2500万の黒字転換したことは事実です。
だから、私にとって「行動」というのは、大きな価値なのです。
だから、お金にも変わるほどの価値があるのです。
自分にとっての価値のみならず、相手から見た価値でもあるのです。
私の「行動=価値」という定義の由縁は、ここにあります。
私はとてもとても恵まれていたのだと思っています。