「情報分析」の前に絶対に決めておくこと

ボーダーTを着て街を歩いていたら、

シマシマの意匠の建物があって、

前に立ったらカメレオンみたいにカモフラージュになるかと思って前に立ってみたら、

よく考えりゃ、同じシマシマでも、ボーダーとストライプで(笑)、

カモフラージュにも何でもない(苦笑)。

 

ただ、バッグを斜めがけしていたので、「縦・横・斜め」のラインが画像に入って(笑)、

最近のお仕事で、一つの物事を「縦・横・斜め」と色んな角度から「分析」して、一つ一つの要素から解決の糸口を見つけましょう、と言っていたことを思い出しました。

 

会社が一定の規模までいくと、商品や得意先・人員・などが多くなっていって、様々な部門やカテゴリーに分類され始めて、それは私も必修だとは思っています。

年間の売上を、商品別で見たり、得意先別で見たり、営業担当別で見たり、部門別で見たり、

それぞれのカテゴリーで分析できるような資料は比較的どの会社でもあったりします。

分析にどんなに力を入れても直接の生産性は生み出しませんから、分析ばかりしていても何ともなりませんが、

それでも、それぞれの傾向を見ながら、次の一手をどうしていくか?という意図を持つ為には、分析は必要であると思っています。

 

「分析」という字は、「分」と「析」で成り立っていて、

「分」は文字通り「分ける」という意味で、「析」という字も大きく「分ける」という意味を持っています。

だから、私は、一つの要素を「分けて」「分けて」考えてみるということだと思っています。

 

では、「分けて」「分けて」、何を考えるのか?です。

私は、次の「行動の一手を決める」為と、一旦定義しきっています。

 

分析は大事だけど、分析の目的は、情報を得た後に行動の一手を決めることですから、

裏を返せば、分析した結果、「こうだったらこの手を打って、こっちだったらこうする」という行動が先に決まっていなければ、分析する意味がないということになります。

 

分析は、先に取るべき行動が決まっていないと意味がありません。

ないどころか、分析する為に費やすコストは相当ですから、大きく足を引っ張ることになります。

 

よくある話ですが、

例えば、「この売上の構成要素の5つのうち、それぞれ何十パーセントになるんですか?」と社長に聞くと、

社長は、「パソコンを見れば分かります。多分、部長は分かってると思いますが。」となって、

部長に同じ質問をすると、「パソコンを見れば分かるのですが、それは課長が見て分かっていると思います。」となって、

課長に同じ質問をすると、「パソコンには入っているので見れば分かりますが、それは、各営業マンが分かっていると思います。」となって(笑)、

もうここまで書けば分かると思いますが、営業マンも見ていないから知らなくて(笑)、それぞれが入力だけは適当にしてて(笑)、

結局、誰も知らないし、使用していなくて、役立たないことに、コストをかけて情報収集機能を作って、一人一人が誰も使わない項目に入力して、

結果、どんどん情報は蓄積されていくのだけど、誰も見ていないし、知らないし、当然使っていない、という笑えない話というのは、当然のようにあったりします。

これ読んでて、ギクっとしません?

書きながら、昔の私が、いまだにギクっとしていてますから(笑)。

 

よしんば、会議とか、社長が知りたいという欲求のみで「出せ」と指示が出てプリントアウトして、見る機会があったとして、

「うん、うん、ここはいいな。何だこれは、全然ダメじゃないか?どうなってるんだ!何やってたんだ!どうするんだ!」

となるか(笑)、

見るだけ見て、なんかゴニャゴニャ喋ってから机の中にしまうか(笑)、

要するに、部下を叱り飛ばしたいという目的か、あるいは、安心したりヒヤヒヤしたいという目的か(笑)、

誰かの個人的な感情の起伏の為に、莫大なコストを使っているのか?という、これまた笑えない話になっていたりします(苦笑)。

社長でも誰でもいいのですが、分析資料や情報を知りたいという誰かの欲求、すなわち「ただ知りたい」という純粋な欲求は、時として莫大な損失を生み出しています。

私は、これを「情報蓄積の罠」と命名しています(笑)。

情報はコストをかけて全て揃っているのに、その情報から生み出される成果はゼロという状態です。

だったら、どうしたらもっと楽しくなるんだろう?とか、今月一番嬉しかったことは何だったか?とか、何やってもいいと言われたら何やるか?とか、ボーナス1億円手に入ったらどうする?とか、そういうアホ話してた方が確実にモチベーション上がります。

 

それでも会議には決まった資料が出されるし、その資料に基づいて時間と会話は進んでいきます。

確かに何もないと不安はありますし、あった方が会議進行上、進行する人は楽ですからね。

 

私は、資料や分析情報を見る時の目的は3つです。

① そこから、次に進む新たな発想やヒントがあるか?

② 情報が出たら、次の行動の選択肢がすでにあって、どれにするかを決める為

③ 参加者のモチベーションを上げる

ですね。それだけです。

 

そう自分に課さないと、どうしても評論家になって、あとは、参加者に「よくなるように考えろ」などと無責任なこと言って終わる(苦笑)。

それ言ってる本人もコストですからね(笑)。

てか、言ってる本人が一番高いコストだったりしますからね(苦笑)。

そもそも考えられないからそういう結果が出てるのに、考えられない人に考えろっつったって、考えられるわけないんですよ(笑)。

 

先日、「そろそろちゃんと商品別や得意先別で分析資料を作った方がいいと思うんですが、情報はどうやって取るのが一番いいんですか?」

という質問を頂きました。

「情報の取り方の前に、その情報を使って何がしたいのか教えて下さい。じゃないと、何が一番いい情報の取り方なのか分かりませんもんね。

情報を分類して取りに行って、それぞれを分析するのは、それを目的にするととんでもないコストがかかります。

それよりもアホ話でもしながら、そもそも何がしたいのかをしていった方がいいんじゃないかと思うんですけどね(笑)。

情報は、情報の取り方ではなくて、情報を使う目的が最も重要です。」

と伝えました。

話し合った結果、情報を取る目的そのものが決まるまで、情報を取りにいくこともやめたし、分類もしませんでした。

私の経験上では、その方がいいです。

時間もコストもかかりまくらし、社員数が多ければ多いほど、各人が意味の分からない作業に没頭します。

 

「情報」や「情報を使う分析」は、必要です。

しかし、それは、「情報」を取ったり「分析」した上で、次にどんな行動をするのかが、先に決まっていて初めて必要となることを忘れてはいけないと、確信しています。

 

と、書いたはいいけど、じゃあ、自分のシマシマを間違えたアホ画像を、こうして情報として記録する目的はあるのか?

と聞かれたら、いいんですアホですから、と開き直りで誤魔化すしかないんですけどね(苦笑)。

 

ほとんどの情報は使えていない(苦笑)
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