「常に」「常に」っていつのことだよ?

20150213-2

組織において、何か大事なことを伝えたい時や、行動を定着化させたい時に、「常に情報を取り続けなさい。」「常に情報を発信し続けなさい。」「常に笑顔を絶やさず。」「常に大きな声で。」「常に走り続けなさい。」「常に考えなさい。」「常に数字を意識してない。」「常に整理整頓、キレイにしていなさい。」・・・、といったように、何かにつけて「常に○○し続けなさい。」というのが口癖の人がいます。

私は、ひねくれ者なので(笑)、あんまり「常に」の言葉が出過ぎると、「『常に、常に』っていつだよ?」と思います(笑)。

まぁ、感覚的に言いたいことは分かりますし、内容そのものや、言っている人が、私にとってどうでもいい場合は、そのまま放ったらかしにしますが(苦笑)、前提が組織や集団の多人数が実際に行動するかしないかであり、実際に自分が関わって物事を進める場合、「常に」と言っていることをより明確化・具体化させたい時においては、「あなたの言っている『常に』って、いつのことですか?」と確認しにいくことがあります。

まぁ、「常に、常に」って常に言ってる人に、こういう質問しても、大抵は最後は支離滅裂になるだけなんですけどね(笑)。

「常に、常に」と何から何まで言われた側の傾向は、大抵は、

①どれもやらない

②やったともやらなかったともどっちとも言えない程度の適当さで片付ける

になります(笑)。

よって、当初、意図していた組織・集団の行動の定着化は全くできません。

「常に」というのは、杓子定規に捉えれば、「絶え間無く」とか「どんな時でも、いつもいつもずっと」となります。

私からすると、それは現実的にはあり得ません。(「諸行無常」の考え方の方が、そもそも好みですし。)

例えば、寝る時も、それをやってろってことかよ?と思ってしまいます(笑)。

だって、「常に」って、そういうことでしょ?(笑)

それは極端にしても(笑)、言うことなすこと、全て「常に」という言葉を使って、誰かにやらせたがる、やらせようとするのは、あまりに考えなさ過ぎの象徴例ですね。

基本的に脳は、情報を取っている時は、情報を出すことを嫌がりますし、仮にできる能力を持った人がいたとして、人の話を聞きながら大声で話していたら、当然、「お前、俺の話聞いてるのか!?」となるでしょう(苦笑)。

そもそも無理なのです。

それなら、「毎日、家に帰ってから、一行だけでもブログを書け。」とか、「家に帰ってから、一ページだけでもいいからビジネス書を読め。」とかにしないと、言われている方も、「情報を出す」にせよ「情報を取る」にせよ、何がなんだか分からないのが現実です。

例えば、笑顔という状態を同じ形状で保ち続けている人がいたら、それって逆に気持ち悪い奴だと私は思ってしまいます(笑)

元の顔つきや、印象そのものが、仏頂面の人が「常に笑顔」と毎日言わ続けたら、それは相当なストレスではないでしょうか?

笑顔が素敵な人でいて欲しいなら、それは、採用段階の問題として捉えるべきです。

例えば、営業マンや店舗スタッフが、勤務時間内にずっと考え続けたり、数字を見続けていたら、どうやって売上をつくると言うのでしょう?(笑)

仮に実直に、「常に考え続けていたり」「常にパソコンに向かって数字を意識して見続けていたり」、そういう部下がいたら、私は「営業時間内はそんなことせず、顧客接点を増やさんか!」と言いますよ(笑)。

もし数字を意識させたいなら、「出社を15分はやめて、まず昨日までの実績を確認しろ。」とか、「20分だけ時間を取って、お客さんが喜ぶ案を全員で書き出しまくろう。」とか、そっちに向かいます。

例えば、「常に整理整頓、キレイに」と言って、ホントに毎日ずっと掃除しかしない営業マンがいたら、戦力外通告です(笑)。

私が「ここ、いつもキレイだなぁ。」と思える店舗や営業所は、毎日、決まった時間に全体をいつも通り掃除してから、その日に決めた一箇所を徹底的に磨きまくって、後はやっていませんでした。

(私はそれすらもできませんけど(苦笑)。)

同じ「常に」という単語を使っていても、本来根付かせたい対象の施策は、具体的にはどれも違ってきます。

ちなみに、私が「常に」という言葉を出す時は、それ以上考えたくないか、曖昧にしておきたいか、あるいは、具体策が見つからないか、まぁ、そんな時が多いです(笑)。

だから他人が使う時は、思いっきり疑ってかかります(笑)。

「常に、常に」という人は、傾向的には、売れていた時代、あるいはビジネスの勝ちパターンが決まっていた時代に、ある程度の実績を出してきたリーダーやトップに多いです。

勝ちパターンが決まっていた時代というのは、文字通り、何をすれは勝てると分かっているわけですから、いらんこと考える必要がない。

組織という名の、とにかく人数を集めて、とにかくスピードアップで動かしまくった方が効率良く実績が上がったわけですから。

そういう時は、実績だけが作りたいのであれば、つべこべ考えちゃいけなのです。

だから「常に、常に」と、適当で曖昧で、でも、たくさん動くようにけしかけとけばそれで良かったわけです。

手に負えないくらいに困った人(笑)になると、「変化が状態」だの「経営は変化適応業だ!」など、どっかで聞いてきてしまった言葉も言いながら、片方で「常に○○しろ!」とか言い出して、聞いている側は、もう何が何だか分からない状態が生まれます(笑)。

人数が少ないうちはまだいいのです。なぜなら、トップの言っていることではなくて、目に見えた行動や、感情を目の当たりにしながら、周りは大体の感覚で、何を言いたいのか理解していきますから。

しかし、関わる人数が多くなったり、組織の階層が増えていくと、それまで通りにはいかなくなります。

さらに部下も心得たもので(笑)、そこまでは突っ込んできません(笑)。

具体的になればなるほど、やったかやらないかが分かるので、それはそれで面倒くさい(笑)。

曖昧にしといて、それこそ「おっしゃったことを常に意識して取り組みます。」とかでうまく誤魔化します(笑)。そんなもんです(笑)。

だから、本来、定着させたかった「目に見えた状態」へは実現していかないのです(苦笑)。

もし、自分が「常に○○するのが大事なんだよなぁ。」とでも思ったら、一度、「自分の言っている『常に』とは『いつ』のことなのか?」を自問してみるといいでしょう。

それで、はじめて、やりたい・やりたくない、できる・無理だ、代案がある・ない、といった具体的な話になっていくし、あるいは、全く別の解決法が生まれる可能性がおおいにあります。

と、いうことを、「全ての情報は五感で得られるのなら、タバコという情報を『常に』五感全てで感じとってみよう。」とチャレンジした結果、できるワケがなくて、「やっぱり『常に』はあり得ない。」と確信しながら思いついたのでした(笑)。

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