プロの証はアホ面という仮説は成立するか?(笑)
人から見たら、そんなことまではどうでもいい、そんなことまで考えたことない、そこまでやるのは面倒くさい、
と思われる程に、任意の対象へ興味をもって、
①細部かく、深く、しつこく、丁寧に、集中して、継続している対象が、その人の持っている専門性であり、
②それが他者から代行の依頼を受けて引き換えにお金を頂くのがマネタイズの瞬間であり、
③その活動を一定期間継続して繰り返すとなると、それがプロという定義になるんじゃないか?、と思っていて、
本来プロというのは、何かのカテゴリーに対して、異常とか、変態とか、逸脱しているとか、キ〇ガ〇と言われるような何かを持っている人なのだと思います。
面倒な探求というのは、意図する時と、意図せずやっている時があって、
例えば、以前には、プロとしてその仕事だったけど、今は違う、というようなこともあって、
それを、プロではなくなった今も意図することなく、気が付けば、興味をもってやってしまっている時もあります。
それを客観視するような、自然体で気を抜いた画像を見ると、
それは、適職とか天職だったのだろうな、と思うのですが、
私の場合、必死で興味のあるものを探求している場合、意図していない分、間抜け面になっているので(笑)、
あまり人に見られたくありません(苦笑)。
ちなみに、この画像は、撮られていることに気づいて、探求している様を意図しています(笑)。
それでも、結構な間抜け面になっているので、
本気の時は見る影もない程にアホ面しています(苦笑)。
「プロの客観性はアホ面」
という仮説は、成立するかどうかに興味を持って探求していきたいと思っています(笑)。