全体の為に取り敢えず頑張れる人が伸びるのは当然なんだぁね。
- カテゴリー:
- 坪井式リーダーシップ
日曜日だろうと何だろうとお仕事をする私は偉い(笑)。
と、思いつつ、日曜日なのにこうして全社プロジェクトの為に集まって頑張る若手社員はもっと偉い(笑)。
本人達も楽しみながら、楽しい企画を一つ一つ形にしていこうとする姿は、とても頼もしく思います。
こういう若者達がいる会社は伸びますね。
でも、もっと伸びるのは当の本人達、個々人の「将来どんな社会になろうと活躍できる実力」だと思っています。
市場価値の高い個人になっていくのは、これからの成熟社会に生きる全てのビジネスパーソン全ての命題です。
しかしながらそれは一朝一夕に備わるものではくて、目先は「こんなことやってて意味あるんかなぁ。」ということの圧倒的経験量の差によって知らぬうちに積み重なっていくものだ、というのが私の経験則による考えです。
(こんなことやってて意味あるんかなぁ。)と思って、だからやらない奴と、でもやる奴と、どちらが10年後に社会で活躍している奴になっているか?予想したら、それは容易です。
だからボンクラはいつまで経っても役立たずのボンクラのままで、社会で活躍して豊かな人生を創る奴はどんどん勝手に創って伸び続ける。その格差は開いて当然であって、問題でも何でもないのです。
後になって、慌てて頑張り始めても、ちょっとやそっとじゃ追いつけません。
そもそも、「こんなことやってて意味あるんかなぁ。」とか何とか言って何とかやらないようにするような奴は、果たして「どうして生まれてきて、今日も生きている意味」が明確に客観的に分かって生きているのか?と言えばそうではないんですね。
なのに、今日も生きては、他人のやろうとすることに「自分にとっての意味」を問う。
言っていることがおかしいのです。
そういう奴は死ぬまでそうやってなさい。
わたしゃ、そんな奴の人生までは知らん。
きっかけがどうあれ、自分以外の人の為に、自分の時間と労力を費やせる人というのは、やりながらその本来の意味が自分の中で出来上がっていきます。
そういう人に、結果として力が集まったり、求心力がつくのは、それは当然と言えば当然なんだと思います。
その根拠に、すでに私の中では、こういて長期プロジェクトに自分の仕事を抱えながら頑張る彼らの姿に感動を覚え、特別の感情と応援の気持ちが存在しています。
人というのはそういうもんなんだろと思うのです。
まずは振りかぶってきた目の前のことを、楽しみながら全力でやってみる・・・、大切だなぁ、と若手社員の皆さんから教えてもらっている、人生をサボってきたオッさんです(苦笑)。