そもそもが失礼だから、せめて外見だけでも(笑)
革ジャンで帰ってきて、スーツに着替えて出てきました。
なかなかお会いできない人生と経営の先輩にお会いできる機会だったので、礼とマナーを考えると、さすがに革ジャンのままじゃマズイかなと(笑)。
着替えるのは面倒だけど、この時期しか着れないフラノ素材だから、それはそれで嬉しかったりします。
えぇ、その程度で嬉しさがあるってのは幸せですね(笑)。
自分よりも長く生きていて、リアルな経営の世界で実績を積み重ねている方というのは、何もないわけがない、というのを前提に思ってるんですね。
なんかある。
そう思ってるから、失礼を承知ながら、経歴から、なぜその選択をしていったのかなど、気になったことをズケズケと質問しまくってしまいます(笑)。
感動というものを煎じつめて行くと、私の場合は、大自然と、人の人生から感銘を受けるか、に大別されます。
よく知らない多くの人と会うのは面倒くさいし、互いによく知らない方と礼儀を重んじながら真正面から会話するのも面倒くさい。
気を使うのは面倒です。
でも、そういう一つ一つの機会から人を知り、人の人生を知り、
そして、改めて自分をいう存在を知って、人間というものは何者なのかを少しづつ理解していくものだとも思います。
いつもいつも気の合う同じ人達と会うのは楽だけど、
気を使わざる得ない立場の方や、全く違う人生を生きてこられた先輩だからこそ、心に残る瞬間を経験させて頂けるというのは確実にあると思うのです。
経営やビジネスというものは、突き詰めれば、「どれだけ人間というものを知っているか?」だと思っている私にとっては、そういう体験は極めて大きい。
だから、気になる人や興味を抱く人がいたら、とにかく質問しまくってしまいます(笑)。
かといって、全ての会話から感動や感銘があるか?というと、そんな都合の良いようなことはなくて、
そんなことは1,000回に一回とか、1,000人に一人とか、経験則からは、それくらいの確率だと思っています。
だから、999の面倒な出会いと関わりを前提に、1,000という単位に飛び込まないと出逢えません。
誰もが、自分の人生にとって、かけがえないたった一つの出来事や、たった一人の人との出会いがあればいいと思っていると思いますが、
出逢うのは、まず飛び込まないと得られない、というのが、私の自論ではあります。
だから面倒くささも知っているつもりなんですね。
ただでさえ根っからのグダグダで、マイペースでいたい私にとっては、人は面倒くさいです(苦笑)。
でも、人と関わらねば、自分の幸せもないことも頭では分かっているつもりです。
まぁ、そこを行ったり来たりですね。
そういう意味で、私にとってのスーツというものは、人と会う前に、面倒だなんて失礼なことを思いながら(苦笑)、でも、ちょっと謙虚で不躾(苦笑)な気持ちに切り替えさせてもらう為に、
せめて外見だけでも礼を尽くしてそうに見せるものなのかも知れません(笑)。
かくして、昨日も、不躾な質問(苦笑)をズケズケとさせて頂けて、終わった時には、あぁお会いしなければまるで知らなかったな、と言える貴重なお話をお聞きできました。
実績も、今実際にやっていることも立派だなぁ、と思える方ほど謙虚で物静かで、自分からズケズケと自分のことを言いません。
だから、失礼を承知で、と前置きしながら、ズケズケと本気で聞かないと、自分のことはなかなか言ってくれないのです。
久しぶりにそう感じる時間でした。
人とお会いするというのは、面倒だけど、でもかけがえのない貴重な経験をさせて頂けますね、改めて。
面倒だけど、スーツに着替えなきゃいけない機会を頂けて有難たかったです(笑)。
そう考えると、たまにはあらたまって、ちゃんとスーツを着る時間を自分で作らないとね(笑)。
その割には、出掛けに急いでて、ダブルの内側のボタンを留め忘れて、不自然なシワが出たまま自撮りしてる程度ですけど(苦笑)。
まだまだ青いね、実際(苦笑)。