私の「考えた」か「考えなかったか」を定義する方法
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何かをやろうとする前に、その「何か」が何であるのかを明確にする為に、
やろうとすることを、自分が自分に考える時間が必要だと私は思っていて、
ところが、「考える」と言っても、頭の中の「考え」なんてのは目に見えないわけで、
例えば、他人に「ちゃんと考えたのか?」と聞いて「はい、考えました。」と言われても、
その考えの巾や深さなんてのはまるで見えないわけだから、
「考え」なんてのは、どうとでも言えると言えば言えるわけです。
ちなみに、私が「よく考えます。」と言って話を終わらせようとする時は、それ以上考えたくない時で(笑)、
後に「考えたんですけど、まだまとまってません。」と言う時は、考えなかった時でした(苦笑)。
(別に、今でもだけど(笑)。)
よって、私が「考える」ことをしたと定義する時は、考えていることを紙に「書き出した」かどうかにしています。
「考える」=「書き出す」です。
実際に書き出してみないと、「考え」というのが何だったのかは、まるで目に見えません。
頭の中で考えている時は、大抵は同じところをグルグルと回らせているだけということがほとんどで、
実際に、それを話してみると、結論などまるでなく、いかに考えていなかったかを自覚させられます(笑)。
書き出してみることによって、考えているつもりでも大して考えてもいなかったことが分かったり、
そこまで考えていたことが明確になったり、
最初に考えていたことを忘れることなく思い出せたり、
一旦、思考を吐き出すことによって、新たな思考へ向かう脳の領域が生まれたりと、
やってみると、まぁ色々と気づくことがあるわけで、
よって、個人的には、
「考える」=「書き出す」
であり、
「考える時間」=「書き出す時間」
ということになります。
ということは、「考える」という前提は、「書き出す時間と場所」が最低限必要なわけで、
何が何でも一日1時間は、自分一人だけの書き出す時間と場所を確保できるようにしています。
まぁ、場所はどこでもいいわけですが、できれば誰もいない場所か、誰も知らない場所が良くて、
要するに、誰からも何も聞かれない、邪魔されない場所を確保できるかどうかです。
1時間と書きましたが、私の場合は、実際には2時間が最低限必要なことは分かっています。
何でかっていうと、私は集中力がないから(笑)、すぐ変なラクガキし始めたり、
目の前にいる変な人を描きたくなったり(笑)、
鼻にストロー刺したくなって、それを必死で自撮りすることに命かけてしまったりして、遊んでしまうからです(笑)。
それで、前後30分は、まるで何も考えていない状態になることが明白だからです(苦笑)。
すぐ集中できる人はいいでしょうが、私は絶対にできないので(笑)、最低でも2時間は必要なのです(笑)。
というわけで、30分程度のつもりが、今日もすでにこうして1時間以上も遊んでしまって、
あげく、こうしてブログまで書き始めてしまって、無駄にしてしまったので(苦笑)、
今からちゃんと書き出すことにします(苦笑)。
よって、考えているフリはしているけど、今のところ何も考えていません(苦笑)。
ちゃんと書き出そ(苦笑)。