集中して観察している時は、自分を観察できない(苦笑)
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1つの物事に興味が出て、ジッと観察して、ずっと観察していると、
それまで、その対象に認識していたこととは別の要素がいくつか出てきたりして、
それをもう一度纏め直すと、同じ対象でもそれまでとは違った認識や意味合いになることがあって、
要するに、現象としては同じ対象であっても、自分にとっての本質や意味合いは全く別物になったりすることは往々にしてあります。
例えば、簡単に言うと、それは、
店舗というものは、見た目には「商品を置いて売る場所」で疑わなかったのだけど、
記憶や体験・経験や感情といった様々な要素に広がって、それが組み合わさって、もう一度纏まると、
「自分自身の価値を発見する場」であると置き換わる、とか、
傘というものは、「雨風から身を守るモノ」という機能だけを見ていたけど、
よくよく見直してみると、「日常の中でほんの少しだけ生活に彩りを与えてくれるモノ」だったんだな、とか、
そういうことです。
対象がモノであれ、人であれ、
私はそういう置き換えこそが、才能を開花させたり、独自のビジネスを展開させていく初動段階として、とてもとても大切だと思っています。
というわけで、気がつくと強烈な興味を持って観察して、1つの情報を膨らませたり、纏めたりを繰り返している時は多いのですが(笑)、
問題は、そうして集中して観察している時は、はたから見たら、相当にマヌケで滑稽であることを、撮られた画像で、やっと認識したということで(苦笑)、
夢中になっている時や、集中している時や、一人で観察に興じている時こそ、
テメー自身をちゃんと観察しとけよ、じゃないと相当変でマヌケに見えるぞ、と思うのでした(苦笑)。
「ツヴォイさんって、なんか変ですよね。」と時々言われるのですが、
何がそんな変なのかは自分では分からなかったけど、もし、何かに興味を持って集中している時を見て、そう言われているとしたら、
それは確かに、変だとこういう時に分かるのでした(苦笑)。