娘の成人式に思うはやはりビジネス観か(苦笑)
巷では成人式なんだなぁ、と思っていたら、自分の娘が気づいたら成人式でした(笑)。
一応、これでも二児の父親なわけですが(苦笑)、彼らが生まれてから、ずぅぅぅぅぅぅぅぅっと、仕事とか、他のこととか、他のこと(苦笑)ばかりやってきて、
ろくすっぽ家にも帰らない日々が続いていて、今もそんな感じが続いているもので(苦笑)、
せめてもの意を込めて(苦笑)、横浜から帰ってきている娘と写真館での記念撮影には一緒に写ってきました。
その後に、「おばあちゃまに挨拶したい。」とのことで、TOSBOI STUDIOまで来て、その前で。
もう二十歳になったのだから、晴れて顔を出してもいいとも思うのですが、まぁここでは後ろ姿で(苦笑)。
私は成人式の日は東京にいて、面倒くさいので名古屋にも帰らなかったし、成人式にも出ずにいたような、その程度でした。
娘が成人式だといっても、まぁ、特に感慨深いとかそういう感情はありませんが、
ほとんど片親状態の生活の中(苦笑)、なんとか無事育ってはくれたことへの感謝と、周りの方々への感謝と懺悔の想いが交錯しています(苦笑)。
ただ、改めて・・・・・、
私達はビジネスをしている以上、やっぱり稼がなきゃいかんと思うのでした。
稼いだ方がいいのではなく、稼がなきゃいかん、ですね。
子供にこれほどお金がかかるとは、自分が20歳の頃には夢にも思っていませんでした(苦笑)。
当時はアルバイトもやって、労働とお金の尊さは分かっているつもりでも、
大学の学費も全て、東京での一人暮らしの生活費も全て仕送りを親からしてもらっていて、
どこそに、お金なんて天からまわってくるようなもん程度に思っていたに違いなく、
実際にこうして親になってみると、自分の両親が、どれだけの想いでどれだけのことをしてきてくれたのかは身に染みます。
ボンクラ極まりない若者が、こうして身体だけ大人になって、
そして今になって、
世の中に対して、とてつもなく大きなこともするつもりもありませんし(つもりがあったとしてもできないんだけど(苦笑))、
政治や教育・医療など世の中のことに対して無責任な批判程度はできるけど、私には何一つ具体的に責任者として動くことはできません。
今の私にさせて頂ける可能性はただ一つ。経済・ビジネスを通して世の中に貢献するということだけです。
さらに、日本の経済に大きく影響するような立場やコトに興味があるか?といえば、
そんな大きな志は本気のホンキでは持ち合わせていません。
これが本音です。
口でなんだかんだ言うことはできても、この国の経済や将来について、夜も眠れないほどに心配したり、涙で枕を濡らすようなことは、私は無いのです。
だから、ちょっとは思う程度はあっても、本気のホンキなどとは程遠い程度と自覚しています。
でも、こんな私でも、いざ自分の子供のこととなると、こればっかりは、本気のホンキで悩んだり、心配したり、何とかしなきゃいかんと思うわけです(苦笑)。
当時の私のように、子供達の持つ純粋な希望と、純朴にやりたいと言ってくることは、そりゃ無理だよ、と思えることでも、
それがきっと良い経験になるんだろうなぁ、と思えれば、何とかできることはしてやりたいから何とかできんものか?と思ったりはするわけです。
何とかできるかできんか?というのは、私の経験則では、現実的には「お金」です。
大学に行く、とか、何を勉強したい、とか、塾に行きたい、とか、スポーツをやりたい、とか、どっかに行きたい、とか、本が買いたい、とか、映画を観たい、とか、友達と遊びたい、とか、何かを研究したい、とか、何でもいいけど、
これはさせてあげたいな、と親側も思える子供の希望を叶えようとする時に、
それができるかできないか?で現実的に悩むのは、私の場合はほとんどは、実際に出せるお金があるかないか?でした。
私が20歳の頃は、東京の大学まで行かせて頂いたに関わらず、
当然ながら勉強もせず、学校にもロクすっぽ行かず、アルバイトと、学生プロレスと、ファッションと、女の子に明け暮れるような脳天気アホ丸出し街道真っしぐらでしたが(苦笑)、
それでもあの月日と多くの方々との出会いと、様々な体験・経験はかけがえなく、後悔どころか、今の私にとても大きな影響、変えがたい財産を与えてくれたと感謝しています。
それは、親がお金を出してくれたから、やらせてくれたから、という大前提があるからなのだと疑いません。
だから、もし、子供が望むなら、せめて自分の時と同じくらい、
願わくば、ほんの少し、一歩でも半歩でも、1ミリでもいいから、多くの選択肢は与えてあげたいと思ってはいるのですね。
だから、稼がなきゃいかん、となるのです。
じゃないと、どんなに偉そうなことを考えていても、感謝していても、実現ができないんだもの。
利益とか儲かるとか、そういうことよりも、次へより良くバトンタッチしていきたいという、せめてものプライドのようなもんだと思っているのです。
ただ、いくらプライドだ志だと言ったところで、現実的にはお金がないとそれはできませんから。
だから、自分がしてもらったよりちょっとでも以上の選択肢を与えたいなら、
現実的には稼がないといかんとなるわけです。
今回は子供に絡めて書いてはいますが、本質的には、子供がいるいないに関わらず、
自分よりも、ちょっとだけでも選択肢を多く持てるようにバトンを次に繋ぐ、という考え方を、私は大切だと思っているし、
それが、先にしてもらった方に対して、せめてもの礼のようなものだと思っているし、
「人間らしさ」の一つの要素なのではないか?とも思います。
あくまで、私の場合はですよ。
もし、私の講演を聞いたり、このブログを読まれた方が、
一人でも、そりゃ確かにそうだ、とか思われて、皆が皆、そうやって今を頑張って成果を出されたとすれば、
きっと、トータルの結果として、この国は、今よりも豊かな成長をしていくのではないか?
と、それくらいは考えてるんですね。
皆、恐らく子供達のことは、自分ごとですからね。
とか何とか偉そうなことを、恥ずかしげもなく書いてはいますが、
残念ながら、私には、仕事も家庭も両立するとか、そういうバランス良く実現できる能力も器も裁量もないので、
家族との時間は極めて少ないはずで、子供達にはきっと寂しい思いをさせてきているとも思います。
もし、そこに何らかの負担を課してしまっているのであれば、それはもう、力足らずでゴメンね、というしかありません(苦笑)。
ゴメンね、といいながら、できることをやり続けることしかできませんもの。
まだ、娘は大学生で、息子は高校生ですから(苦笑)。
できる範囲のことしかできないけれど、できる範囲のことなら何とかしたい。
かと言って、自分だけが我慢をするような生き方もしたくない。
彼らの踏み台になんてのには全然なるつもりはなくて(笑)、私は私の幸せと豊かさに向かって、楽しく豊かな心をもって生きていきたいわけです(笑)。
そういうワガママな範囲(苦笑)がどこまでなのか?いまだ分かりませんが、
私がそうだったように、きっとまだ何も知らずに、彼らなりに頑張って生きているだろう彼らも、
今の私のように、きっといつか彼らなりに、何かが分かったような気がする日が来ることを信じながら、
今日は憎まれ口を叩かない(苦笑)娘の綺麗な着物姿を見ながら思うのでした。