要するにワガママな自分のペースでいたいだけなんだな(苦笑)
世間がお盆休みなのをいいことに、私もお仕事が少し空いたので、
遊んだり、ゴロゴロしたり、日頃できなかった片付けをしたり、遊んだり、徹夜したり、寝たり、野暮用済ませたり、ゴロゴロしたり、ボーーーっとしたり、久しぶりの友人と会ったり、久しぶりの友人のとこに行ったり、車を車検に出したり、遊んだり、
そういうことばっかりしてたら、元々日にちの感覚がないのに、さらになくなって(苦笑)、
よくよくスケジュールを見てみたら、今日からまた遠征に出ることをすっかり忘れてて、慌てて、準備とかどぉしよう?とか焦っているアホ丸出しです(苦笑)。
そんなこんなで(笑)、友人がやっているお店に初めて行けて、それがまた隠れ家みたいで、クセが強くて、カッチョいいお店で、微妙に私の楽しい琴線に触れまくってしまうので、ついつい調子に乗って遊んでしまいました。
「楽しいところに人は集まる。だから、楽しい発信をしよう。」
というのは、すでに誰もが言っているわけで、それは確かにそうで、そうすればいいのですが、
肝心なのは「何をもってして楽しい」と定義しているのか?ということでしょう。
誰もが楽しいのがいいに決まっていて、本人は本人の「楽しい」を発信しているんだろうけど、
他人の「楽しい発信」が、私から見たら何が楽しいのかさっぱり分からないことなんてたくさんあるし、
私がどんなに楽しそうにしている様子を発信していようが、それの何が楽しいのかがさっぱり分からない人はゴマンといるわけで、
それぞれに共感したり、毛嫌いしたり、そうやってフルイにかけながら、だんだんとコミュニティができていくのだと思います。
同じ「楽しい」という言葉を使いながら、
ある人は、仲間と一緒に険しい山を登って、全員で頑張って山頂に着いた瞬間が何より楽しいのでしょうし、
ある人は、仕事が終わったら、すぐにでも家に帰って一人でゲームを攻略している時間が何より楽しいのでしょうし、
それはそれぞれの「楽しい」でありながら、「楽しい定義」はまるで違います。
大抵の人は、「楽しい仕事がしたい。」「もっと楽しく仕事がしたい。」「楽しい人生を送りたい。」「楽しい仲間と一緒にいたい。」と、そりゃそう言いますが、
実際に「何が楽しくて」「どこが楽しくて」「誰といるのが楽しい」のか?は、人によってバラバラなわけで、
それは、どんな言葉を重ねるよりも、その人の日常の行動と、その人発信にこそ、真実味があるのだろうな、と思うのです。
「楽しそうで良かったね。」というのと、「一緒に楽しいことしたい。」というのは別物とも言えるわけで、
だから、日常の発信というのは、その人の「楽しさ」を知るという意味でとても大切なのでしょう。
「ウチの店は楽しい。」「ウチの会社は楽しい。」といくら言っても、それを聞いているだけでは何がなんだかサッパリ分かりませんから、共感もへったくれもないのです。
そう考えると、私の「楽しい」は、一人でグダグタでダラダラの毎日を過ごすことがかなりの比重を占めているわけで(笑)、
これが、スケジュールをキッチリ固めて、その通り動くのが「楽しい」なんて人と一緒にいると、
双方が気がおかしくなるようなことになるわけで(苦笑)、
それが仕事とかで毎日一緒にいるようなことになると、もう地獄です(笑)。
かと言って、価値観の違う多くの人達と、同じ目標に向かって走ることの大切さや、その感動も、幾多の経験から知らないわけでもないつもりだし、徹底的にやった自負もあるわけで、
どんなに一人でグダグタでも、少しは頑張って、できる範囲で社会のお役に立ったり、お仕事でお相手に貢献して、名を残したいという願望も、グダグタの後はムクムクと湧いてきてしまうわけで、
それは、カッコいい言い方をすれば、その時、その時で、気が向いたまま、風のように生きるのが理想、なんてことになるのでしょうが、
まぁ、一般的に言えば、それは、自分の都合の良い時に、都合の良い相手と、都合の良いことをしていたい、というだけなんでしょうね。
なんだかんだ言って、ワガママ極まりない自分のペースで生きていたい、というのが本心なんだろうな、と思っているし、
まぁ、実は、誰もがそうなんじゃないかな、と。
そんな中で、心地良く過ごせる場所や時間や人と巡り逢えたなら、それはもう本当に幸せなんでしょうね。
そんなことをフと考える数日でした。
ご多用に関わらず、グダグタの私のペースにお付き合い頂いた皆さんに感謝です。
てなことを思いながら、「楽しく」慌てて準備しようと思います(笑)。