「感情論」と「統治論」はまるで違うんだよ
昨日、車を運転してたら、ある方面に向かってクソ混んでて、何だこれ?と思ってたら、
そうか、巷では「お盆休み」に入ってて、だから混んでるんでしょうね。
知らんよ、そんなもん(笑)。
どーせ混むんだから、家でジッとしてればいいじゃんね(笑)。
とかなんとか思いながら、私は今日も名古屋で車移動のお仕事で(笑)、
そんなこと言うなら、お前がジッとしてろよ、と自分に思うのでした(苦笑)。
お仕事の前に、洒落たお蕎麦屋さんに連れてきてもらいました。
移動中に話していたことですが・・・・・、
会社であれ、勉強会であれ、任意団体であれ、人数が増えて組織になると、
「統治機能」が必要になります。
人の価値観や考え方は様々ですから、それらを「より良くまとめておさめる」ことを「統治」とするならば、
言い方を変えれば「みんなのルール」が必要になってくる、とも言えるでしょう。
ルールと一旦規定されたのなら、それはそれぞれの価値観や考え方がどうであれ、守らねばなりません。
それは、所属する全員が100%満足するか?と言えば、しないでしょう。
人というのは、多かれ少なかれ、誰しもが自分都合で物事を判断するものです。
「みんなのルール」とは何か?と言えば、
例えば、どんなに猛練習して感動的な体験をしていても、病気の子供に勇気を与えたくとも、バットを3回空振りしたら三振アウトでバッターボックスから出なければなりません。
そこに、どんなに美しい心情があろうと、人々が共感するような美談が含まれていようと、そういう価値観は関係ないわけですね。
アウトはアウト。ベンチに戻りなさい、ということで、それ以上でも、それ以下でもありません。
それがどうしてもイヤで、守りたくないのであれば、ルールそのものを変えることでしょう。
組織運営をしていく上で、運営幹部と話をしていると、
① 個人的価値観や感情のことを言っているのか?
② 統治機能として決めた上で自分が何をするのか?
この分別がつかないまま話し合いになることがあります。
例えば、よく「個人的には指導しています。」「気づいたら時には声をかけています。」という発言が出てきますが、
裏を返せば、「個人的に気づかなければ指導もしないし、気づかなければ声もかけない。」となるわけで、
それは、組織としてのルールにはなりません。
よって、その程度の発言は、私は、個人的価値観や感情の段階として受け取ります。
これは、前提として「感情論」や「個人的価値観」としての話し合いなのか、
「統治論」や「組織論」としての話なのか、どちらで進めるのか?の決めておく(あるいは、途中で合わせに行く)ことが必要です。
どこかで誰かに決められたルールの範疇で動くのは嫌なら、そこからとっとと離れるか、
自分が新たなルールを作る側に回ればいいのでしょうが、
やれ、そのやり方は嫌だ、それはおかしい、嫌いだ、と散々文句を言うことが自己主張だと認識しているバカはどこにでもいて、
そういう人は、そんなに嫌なら、来なけりゃいいし、やらなきゃいい、そうやって自分の納得行くことだけを一生やり続けていればいい、と言うと、
それは寂しい、となる。
どっちかしかないでしょう。
それくらいは自分で決めなさいよ。
自分がどうしたいか?くらいは自分で決めなさいよ。
それが「自分で決める。」ということです。
片方を取れば、もう片方が手から離れる。
もう片方を取れば、片方が手から離れる。
いくつかの選択肢の中から、自分の価値観に従って、自分のリスクの中から何を選び、そこにいるのか、いなくなるのか、そうやって「自分で決める」のが「選択」というものであり、
すなわち「選択」とは、「何かを得ようとする」意思決定ではなく、先に「自分の持っている何を捨てるのか?」という意思決定が先なのです。
3回バットを空振りしたらアウトになるのが嫌なら、勝手に野球は辞めて、他のスポーツをやればいい。
あるいは、自分の気に入るスポーツをイチから考案して、人を集めてやってればいい。
あるいは、長い年月と莫大な労力を懸けて、何度空振りしても本人が納得いくまで延々とバットを振り続けられるような野球のルールに改定すべく尽力すればいい。
それでも野球をやりたいのなら、自分の価値観に合わなくても、今のルールの範疇で努力すればいい。
それだけのことです。
自分の都合で、相手や環境が変えられると本気で思い込んで、本気で語るのならば、せめて自分の脳は3才児並みであり、社会では相手にされていないと自覚すべきだね。
懸命にギャアギャア言ってエネルギーつかったところで、バカにされておしまいです。
というようなことを話しながら、車中を過ごして、せっかくなので、お仕事先でのマネジメントのお話の置き換えに丁度いいかな?と思いましたが、
そんなに上手くいくわけもなく、また次回以降に良い場面があるのを待とうと思うのでした(苦笑)。