一つ一つの過程をよくよく見ていかないとね
新幹線の移動中です。
外に出る時は人前でアホなこと(苦笑)喋ったりしてますが、
名古屋の事務所にいる時は何かと色々あったりして引きこもってることが多いです。
ここ数日、事務作業やら、打ち合わせやらで、新しい書類や情報に翻弄されていましたが、
物事っていうのは、本来の目的や、あるいは本質・根幹をよく理解した上で、一つ一つの作業を進めていかないと、
途中で迷ったり分からなくなったりするものなんだなぁと、改めて思ったりしています。
去年までこうだったから、この前はあぁだったから、この話はキチンとしてあったはずから、と自分の認識側で進めていくと、
相手側の事情や基準で意図や意味合いが変わっていることはよくあって、
そうなると、ここでずれたんじゃないか?と思えるとこまで一旦戻ることになるので、それだけで手間と時間と労力がかかります。
物事を進めていく中で、この、一旦元に戻すという行為が最もエネルギーを使ったりしますね。
相手が書類やパソコン内の情報でも面倒だし、相手が人間だったりすると、なおさらですね。
人それぞれ、立場や経験によって、価値観や判断基準が違うわけですから、同じ言葉を使っていてもそれぞれの認識の仕方は違ってたりする。
なんだかんだ言っても、結局のところ、自分基準でしか物事というのは判断できないのだと思うのです。
まぁ、だからと言って、この手の話は自分を反省したところで、相手をとやかく言ったところで、進めていく上では何をどうすることもできないわけで、
もう一度、よくよく調べたり、人に聞いたら、理解しようと試みたり、そういう面倒なことを地道に地道に繰り返しながら、
新しいことや、社会というものや、人生というものを学習してしていくんだうなぁ、と思います。
だから、共有できたと実感したり、一つになれたと感じる時には感動するのでしょうね。
違いを知った時は、一つ一つの過程の順序を、よくよく見て。
それで分からなければ、よくよく聞いて。
一見、ストローを口に入れているよってうに見えて、
実は鼻にブっさしている自分のアホ画像を見ながら、改めてそう思うのでした(苦笑)。