圧倒差がついたら埋まらないだろ?
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小道を挟んですぐ海というロケーションの露天風呂・・・・、
のある愛知県の温泉旅館で、経営者勉強会の一泊研修でした。
長年一緒に活動している会員の皆さんが、配慮の行き届いた運営準備をしてくれていて、
私は、その日1日をどんな意味のある1日にしていくかに集中させてもらえます。
スケジュール通りに進めていくことと、
なぜそのスケジュールであり、その内容になったのかの意味合いを考えることとは
全くの別物であります。
分かるようで分からないし、できるようで実際にはできなかったりします。
それは、まるで、講演時に準備してきたスライドを読み上げるだけなのか、
何かの意味合いを分かりやすく伝えるためにスライドを準備したのか、
全く違うのと同じです。
あるいは、お客様への挨拶を、例えば「いらっしゃいませ、こんにちは。」と言うことそのものが大事と考えるのか、
そもそもお客様への挨拶の意味合いを考えてからの適切と考える文言なのか、
まるで違うように違います。
あるいは、店舗での売上や、どの商品を置いたら売れるとか効率的というのと、
そもそも、この店舗は何の為に、誰の為に存在しているのか?を考えるのは、
まるで違います。
「なぜ?」の連続の「考える」という脳を使った行為は、
とても面倒です。
疲れます。
面倒で疲れて、明確な答えがあるかと言えば、あるのかないのかすらもよく分からないし、
「きっとここだな。」と自分で理解・納得できたとしても、
果たしてそれが自分以外の人の賛同や共感が得られるかどうかなど、
やってみなくては分からないリスクが伴います。
面倒で、疲れて、難解で、かつ、それそのものが果たして意味があるのかないのかもよく分からず、
あげく、誰からも共感などされなくて、
あぁ、ダメだったという自らが自らに烙印を押していまうようなリスクが伴う行為は、
誰だってやりたくなんてありません。
私だって、好き好んでやりたいかと言えば、
好き好んでまではやりたくはないのです(苦笑)。
そういう前提で考えると、環境や立場や役割というのは、人を鍛える前提なのかも知れないなと、私は思ったりします。
誰だってやりたくないから、やった奴は突き抜けて、
やらない奴はやらないまま時間が過ぎ、
やる奴、あるいはやらされる奴ばかりが、どんどんスキルが上がり、研ぎ澄まされ、
そして、気がついた時には、もうどうあがいても、どうにもならないくらいに圧倒差がついて行き、
そして、また、つき続ける。
後から気づいて、方法論だけ聞かれても、そんなもんは知らんよ、あれば俺だって教えて欲しいよ、となる。
差は埋まるかも知れないけど、圧倒差はもう埋まらないのです。
なので、立場上、仕方なく考えるにせよ、
そういうことを考えるというのは、まぁきっと意味かあるんだろうな、
とか何とか思いながら、温泉に脳天気に浸かりながら、
色んなことを考えていると、やっぱりとても疲れるのですが(笑)、
そもそも温泉旅館に来て、温泉に浸かって、遊んでいるだけで、なんで疲れるんだよ、とも思いながら(笑)、
何とか実行して、あぁ良かった、本当に良かったな、と思えるものの、
でも、そういうことをくり返すと、相当疲れるので、
疲れを癒しに、
今日から、熊本県・黒川温泉に向かっています(笑)が、
でも、それはそれでビジネス研修なので(笑)、
もうこうなると、温泉に休みに行くのか、仕事に行くのか、遊びに行くのか、研修に行くのか、
何がなんだか分からなくなって(笑)、
あぁ、こういう訳の分からない、曖昧で、明確な区分けがなくて、適当で、グダグダな日々は、
とても幸せなんだろうなぁ、
と思ふのです(笑)。
黒川温泉、楽しみだなぁ(笑)。