その欲求は想定されるリスクを越えているか?
やってみたらどうなるんだろう?とか、
やってみたらスゲー面白いんじゃないか?とか、
そう思ったら、まぁ、一旦やってみればいいと思うのです。
「やってみればいい」という障壁・リスクは、私の場合は、
①お金
②人からどう見られるか
の2つ程度です。
①の「お金」については、ビジネスにおいては誰もが考えるリアルなことでしょうから、
私から提案するほとんどは、「誰でもできて・すぐてきて・できるだけお金のかからない」方法が中心です。
これは予算がどれだけあるかにもよりますが、
それでもやらないということになると、まぁ、勝手に「絶対に儲かる方法」を探すとか、見つけることに邁進すればいいと思うし、それもまた人生です。
(そんなもんないと私は思っていますが(苦笑)。)
ただ、前提となる、面白いとか、やってみたいとかいう自身の情動と、ビジネスとのリンクは諦めておいた方が、自身の中で迷いはないでしょうね。
②については、その人の取り巻く環境であったり、地域性や文化であったり、様々な事情があることによって変わるし、
何より自分がどうありたいか?という価値観が大きく影響したりして、
それは、私から見て「あんた一体何様なんだよ?」と思えるようなどうでもいいようなことでも、
その人にとっては重要なことだというのも、多くの人と関わってきてよく分かりますから、
それ以上はとやかくは言いません。
情報を受け取ったら、自分で選択して、自分で決めればいいのです。
なんだかんだ言っても、人は誰しも、自分で選択して、自分で決めたいのだと思うのです。
「やってみたい」とか「やりたい」という欲求が湧いても、
「これがあるからできない」という理性やリスク観が働いて、行動を起こさないというのは、
よく批判されることではあるし、
自分で行動しないのに成果を求めるというのは、私もお話にならないほどボンクラだとは思っていますが、
生き方として良いか・悪いか?といえば、別に、決して悪いことではないと思っています。
よく、条件やリスクを鑑みて、結果としてやらない自分を卑下したり、自分なんてダメだと言う人もいますが、
それは、人として極めて理性的で冷静な判断をしているということです。
そう考えると、そもそも「やりたい」とか「やってみたい」という感情や情動というものは、
予想しうるリスクを越えてでも、やりたいことなのかどうか?ということになります。
さらに、そう考えると、「やりたい」とか「やってみたい」ということを事前からまとめておくことと、
それに対する自分のリスクは何なのか?
それは果たして、キャッシュフローの問題なのか、
費用対効果をどうか予想するかの問題なのか、
他者評価を気にしたり、プライドの問題なのか・・・、
それらを考えておくと、やる・やらないの選択はしやすくなり、あるいは「やりたいこと」への課題も明確になったりして、
結果、自分の人生を歩むということになります。
そんなもんは勝手に自分で判断すればいいことでしょう。
問題は、それを選択しているのは自分であるということを認識していないことにあると思うのですね。
どの選択をしても、他人は、その姿を見て、好きなように判断するし、勝手に批判・批判するのですから、どうせならどの選択するのがいいのかは自分で決めれば良い。
私はそう思っています。
私がよく出すこの手のアホ画像も、一応、私なりに、
①お金のリスクがないことと、
②他人からどう見られるか、
のリスクは越えている選択といえるので(笑)。
とかなんとか言いながら、実際には、そんなこと考えずに、衝動的にやってますけど(笑)。