「何で伝えるか」の前の「何を伝えられる人か」の絶望感(苦笑)
AI動画にせよ、砂浜に描くラクガキにせよ、
ひいては、ブログに入力する文字も、喋る言葉も、SNS発信も、ライブ動画も、
たくさんある全てはアウトプットの手法なわけで、それは、
「なにで表現するか」
のバリエーションであると言える。
問題は、その根幹である
「何を伝えたいか。何を伝えられる人か。」
であって、それはまさしく、
「日々と、その連続である人生で何を積み重ねてきたか?」
が問われることであり、
だから、私は、昔からベラベラ喋ったり、お絵描きして喜んでるだけで、
積み重ねたものが何もない問題があることに、この便利になった時代にようやく気づいてきて、
いささかの手遅れ感と絶望感に満ち溢れています(苦笑)。