TOSBOI STUDIOで生み出される「独自の価値」はそれぞれの人生の中にある
「傘」の小売店舗でもある実家で生まれ育ち、
1980年代の青春時代は、プロレスや映画の世界、サブカルチャー・ファッションのリアル店舗や、それを伝える宣伝広告に影響を受け、
就職したのは、大手アパレルメーカーの営業で、
そこでは、パリコレクションの経験や、全国の店舗の空間演出やディスプレイ、イベント企画やファッションショーに至るまで経験させて頂きました。
物心ついてから大人になるまでに、
私は自然と「空間演出」や「場の概念」による価値創造に大きく影響されていたのだと思います。
その経験から培われた思考性や実践は、時として、家業の洋傘の取引先小売店の売り場創りで、黒字化の成果に向かったり、
リサイクルショップ経営の株式上場への基礎となった店舗事業コンセプトへと繋がっていったのだと思います。
当時のファッション業界は、ブランドやその店舗ごとに、空間演出のテーマ性があり、それは、例えば、
「1950年代の西部アメリカ」
だったり、
「ヨーロッパ王朝時代の荘厳な図書館」
といった空間に、一貫性のある商品があり、それを伝え売るスタッフのスタイルも一貫性を意図したりしました。
そして、さらにシーズンごとに、ウィンドウディスプレイなどで、例えば、
「初夏を感じさせる海辺のコテージ」
といった、コンセプトを伝えていっていて、
それを仕事させて頂きながら、自然と経験していきました。
言ってみれば、
「まるで〇〇のような□□」
という組み合わせや編集の概念です。
私にとって、プロレスも演劇もファッションショーも店舗内演出も、その本質は、
「空間を通して、人に何らかの感情・感動を与え、行動の動機付けする」
という意味で同じだと思っており、それは、人生の系譜から、もはや「普通」となっていて、
独自性の根幹ともなっていったのだと思います。
今の仕事になって、
「まるで、芸術家の書斎のようなファッション売り場」
があるなら。
「まるで、1950年代のアメリカのビンテージ・ジェネラルストアのような、会議や仕事やミーティングする場」
があったら、新たな発想やクリエイティブが生まれやすいし、
それを私が伝えていけば、私が私のままでいれば、全てに一貫性があると意図し、
そういう事務所を創り始めました。
2013年にスタートした「TOSBOI STUDIO」の事務所コンセプトは、ここにあります。
売り物が何であれ、今では、ここから生み出される新たな価値は、自分にも、訪れてくれる人にも、多くが生み出されていています。
やりながら、面白いことに気づきました。
私にとっては、当たり前で普通の意図だったそれは、多くの人にとっては、「なんだコレ???」という「違和感」となって認識されたことです。
面白いことに、
「クリエイティブ現場のようなアパレルショップ」
は、もはや普通で、誰も驚かないのに、
「アパレルショップのような、クリエイティブの現場」
は、人にとっては「異常値」という、私にとっては、単に逆転させただけなのに、人によっては「見たこともない〇〇」になっていたのです。
以来、
面白がる人、共感する人、期待する人、遊びに来る人、違和感を持つ人、嫌う人、落ち着く人、落ち着かない人、きたくなる人、来たくない人、また来たくなる人、来続ける人、と多くの人達と巡り合え、
そして、今も継続する方々と、今日もまた、次の価値創造に向けてミーティングが続いています。
そして、ここは、時を隔てて、私が生まれ育った、実家でもあり、家業だった傘屋の小売店の場所でもあり、
私にとっては、原点に戻っている人生の感慨深さもあります。
お伝えしたいことは三つです。
①独自性は、自分の人生の履歴の中にヒントがあること。
②新たな価値は、人にとって今までに認知できていないこと。
③新たな価値は、最初は誰も理解してくれないので、その価値を伝えていくこと。
私も人も、誰もがそれぞれの人生に、一人一つづしかない尊い価値があると私は信じています。
60歳を越えて、自分自身がサンプルとなってリアルに実走し、失敗も成果も、現実として結果を出しながら、
そんなセミナーやワークや実践塾・個別コンサルティングを、説得力を持って体系化していけたら、
きっと面白いだろうな、と思っています。
60歳から、次の10年に向かえるだけの、
「共感してくれる人が集まってくれる場」であり、
「次の価値創造を一緒に創り出していける」ように、
誰より、私自身が価値創造をしていかねばならないと思っています。