不要と必要の心理的架け橋(笑)
聞いてもいない、
頼んでもいない、
依頼もしていない、
相談もしていないのに、
誰も相手にしてくれない故の貢献欲なのか、
自分の存在確認や、価値観の押し付けなのか、
ご丁寧に余計なアドバイスや、要らぬご指導頂けるようなことはあって、
あぁ、面倒くせぇな、と思いながらも、
お気持ちだけはありがたい、と譲ってあげて、
適当に聞いてあげてればいいうちはいいんだけど、
あんまりしつこかったり、結局自分の言いたいことだけ延々と言いたいだけじゃん、となると、
いよいよ、いい加減不要なんだから、切っちゃおうかと思ったりするんだけど、
フと、自分の着ているフリンジジャケットの画像を見ていると、
フリンジってのは、絶対に必要か?と言われたら、不要の権化とも言えるわけで、
でも、フリンジを切るどころか、それを楽しそうに着ている自分がいて、
不要なものというのは、実は必要なんじゃないかとも思ったりして、
さらには、そんなこと考えてる自分の存在そのものが不要なんじゃないか?とも思えてきて、
そんな時に、不要なものが実は必要なんじゃないか?と、
自分は世の中で必要とされていると自己肯定に繋げる時があります(笑)。
他人の心配より、まず世界中の誰よりも自分を心配するのが賢明だと思うのでした(苦笑)。