美しく年を重ねるには遅過ぎるかもしれない現実(苦笑)
一人寂しく、下うつむいて、しょぼくれて、
トボトボと歩くのが異常に絵になる人生の先輩は稀にいて、
でも、何故だか、その人の人生の深みが醸し出てていて、美しいとすら思えてしまい、
どんな生き方をしてきたのか思わず聴きたくなるような、
無口で粋でカッコ良い、物静かな、そんな年寄りの男性になりたい、と思うのです。
いつまでも若々しくとか、元気とか、アンチエイジングがどうとか、
それは、今からの努力や、付け焼き刃でも何とかなりそうなんだけど、
外的な圧力でなく、内的な魅力が溢れるというのは、重ねた人生の幅や深さ故に、
どうにもこうにも追いつけない圧倒的な存在の美しさがあると思うのです。
写真を撮る瞬間のみ意識した笑顔や、
いかにも楽しそうに意図した姿や、
面白おかしそうなアホ面といった、
一瞬だけ切り取ればいいようなものは、いくらでも作れるのだろうけど、
何月を重ねた醸し出される存在感と美しさは、
何をどう取り繕っても透けてしまって、後からでは誤魔化しが効かないのだろうな、と、
そういう先輩を見ると追いつけない圧倒差を実感します。
そんな人に見えるように写真を撮ろうと目論んで、
何度も何度も同じ場所を往復して、道行く人に嘲笑されながらも、頑張ったとて、
何ともならない経験をしている私だからこそ、
その圧倒差はよく分かるつもりです(笑)。
既に手遅れは重々承知ながら(笑)、僅かな可能性を諦めずに、
次の10年経った70歳あたりから、くたびれたレザージャケットや、しおれたコートがリアルに似合う年寄りになれるよう、努力しようと思っているところです(苦笑)。
果たして自分のスカスカの人生を、ここから逆転できるでしょうか?(笑)