コミュニケーションにおける知性は感情を超えらるのか?(苦笑)
「人間は、社会活動における他者との関係によってのみ生存していける」
という学説に影響されているので、
他者との関係において、高い知性を発揮する能力を高めていきたいと思ってはいます。
思ってはいますが、いかにも知性的でいる自分に見られるように、
知性的に物事を考えているように魅せたいと、
頬杖をついて知性的に物事を考えている自分を表現したいと思いつつ、
指一本を伸ばすだけで、鼻に指突っ込んだら、
アホ丸出しに見えて面白いんじゃないか?
知性とアホは紙一重、
誤差微差というのはこういうことだ、
と訴えたくなる感情を抑えきれずに、我慢できずにその行為をしてしまう時、
私が理想の社会活動を営んでいくのは、茨の道なのだろうと思うのです(苦笑)。
「人は感情の生き物である」反面、
「知性のよるコミュニケーションが生きる上で重要」という、
生きることそのものが二律背反と向き合うことなんじゃねーか?と身悶えながら、
今年60歳の誕生日までには、知性と感情のバランスを何とか克服したいと焦っている昨今です(苦笑)。