時代変遷の客観性から見るべき普遍と独自性のバランス
2020年以降、私の環境変化と、伴うビジネススタイルが大きく変わったこともあって、
商業施設を意図的に巡る回数は大幅に減りましたが、
経済の動向をリアルに肌で感じるのは、私の場合はやはりリアルの場だったりもします。
しかしながら、以前よりも興味が無くなっているのか、個人的興味が絞り込まれた結果なのか、
多くの立ち並ぶ店舗のほとんどは、私には見分けもつかず、
店舗も商品も、どれも同じようにしか思えなくなってきていて、
私のような者にとって、よほどブッ飛んだ店頭表現や、そこのそれと一目で分かる商品でないと、スタートの認知すらできません。
いわゆる「興味がない」という領域に近い状態でしょう。
大学時代に、上京した両親と共に、ファッションビルを巡った時がありました。
多くの売り場がある中で、店舗に入り、アイテムをチェックしたり試着する私の動きに対して、
当時、家業の洋傘メーカー社長をしていた父が、
「お前はどこに何があるのか分かって選んでいるんだろうけど、お前が入る店も服も、お父さんには全部同じに見えて、何が何だか分からへん・・・。
お前を大学に行かせても、ロクに勉強もせずに、ファッションだの学生プロレスだの何だの、そんなどうでもいいようなこととも思うけど、
反面、時代も変わって、傘もファッションになってきて、魅せ方も何も、お父さん達はついていけへん・・・。
将来、経営者にならないかんお前にとって、お父さん達にはない感覚は役立つかなぁ、とも思うというだかなぁ・・・・・。」
と、困惑とも呆れ顔とも寂しそうとも言える感じで言っていたのを思い出します。
当時は、そんな時代から外れていくような、つまらん大人になったらつまらんだろうな・・・、と不遜とも世間知らずとも思っていた青二才は、
その後、当時最大手のファッションメーカーに就職し、家業の跡を継ぎ、父の淡い期待を裏切って廃業するに至り、
そして、理想の商業施設を探求しながら、結果、株式上場までは経験させて頂き、そして今に至ります。
いつの間にか、歳を取って、つまらんと思っていた父の側になってしまったのかなぁ、とも思ったりするし、
経済の高度成長期から成熟期における限界点まで達している現状を冷静に目の当たりにしている、とも思ったりもするし、
単に、色んなことに興味を持てなくなってしまった自分への危機感、にも思えるし、
その答えは、まだ模索中のままです。
どの店も自分の個性や「らしさ」を全面に打ち出そうと意図しているのでしょうが、
ブッ飛びたいけど、ブッ飛べば客数の減少に影響するリスクを感じるのだろうし、
定番の量を多くして、多くの人を広く取ろうとすれば、選ばれる要素が無くなるだけ、
魅せ方を工夫しても、どこも上手くなっていて、同一化して埋もれるだけ、
というジレンマは、経験上からか、痛いほどに分かるつもりです。
そして、それは、今や普遍となったWEBやSNSの情報発信の在り方にも、同じ原理原則に思えます。
だから自分はどうしていくかの個人的な意思決定はとても大事だと思っていて、
リアルだろうとネットだろうと、共通する個人的な見解をそろそろ纏めようとしていて、
だから、「街と人と店」が交錯する商業施設のリアルは見ておかないと、と、フロアの中でポツンと一人立っている、
傍から見たら、誰も認知すらしない、まだ何者にもなっていない自分の姿に思うのでした。