考えた結果、何も考えないことが一番考えたことになるのか?(苦笑)
子供の頃、
「バカって言ったら、自分がバカなんだわ!」
というのがあった(笑)。
きっと、人にバカとか言ってはいけないんだよ、ということの教えだと思うのだけど、
でも、子供心に、
「自分がバカなんだわ!」
と言い返している方も、最初に行った相手をバカだと言っていることになるので、もし相手が、
「バカって言ったら、自分がバカなんだわ!って言う方がバカなんだわ!」
と言ったら、どっちがバカになるんだろう?
さらに、言われた方が、
「バカって言ったら、自分がバカなんだわ!って言う方がバカなんだわ!って言う方がバカなんだわ!」
と続けて、さらに永遠にこのやりとりが続いたら、どっちがバカになるんだろう?
先に死んだ方がバカってことになるんかな?
あるいは、やり取りし出したら、キリが無くなって、貴重な人生の無駄だから、他人の言うことは、適当に受け流しといて、自分のことやった方がいいよ、という教えなのかな?
とか、あれこれ考えていました(笑)。
その時間の方が無駄だっつーの(笑)。
「思慮が深いな」
と思う人Aさんがいたとしても、もっと深い人Bさんから観たら、
「こいつは思慮が浅いな」
となって、
でも、もっと深いCさんから観たら、Bさんは浅い人になる。
自分から観たら、誰かがバカに見えたりしたとして、でも自分は、その人よりはバカではない、誰よりもバカではない、という客観的な証明は無理で、
同様に、誰かを浅いと思っても、自分はその人よりも深い、誰よりも深いという客観的な証明も無理で、
ということは、他人が言ったことに、いちいち反応すること自体、自分の人生にとっては、どうでもいいことになるので、
他人の評価など、どうでもいいや、私は一番思慮が浅くて、一番バカだ、
と認識しておいた方が、一番楽でいいや、
となると、
思慮が浅くて、バカでいることが、
もっとも、思慮深く、頭がいいことになるとなると、
もう何が何だか分からなくなるので、
もうどうでもいいや、となるのは、
結局、どっちがどうなのかなどどうでもよくなる(笑)。
こういうことを命の時間を使って書いている現実があるわけで、
私は、どうでもいいことに命を使っていると認識せざるを得ないと、ちょっと思うのです(苦笑)。