「トップガン」に学ぶ残酷な我の現実(苦笑)
映画「トップガン・マーベリック」で、私にとっての最も印象的かつ想い入れの強いシーンは、
オープニングで、トム・クルーズ演じるマーベリックが、自宅兼倉庫で、いにしえの「G-1」を羽織るシーン。
亡き父親の形見であるレザージャケットという前作からの系譜、
そして、レザージャケットそのものの耐久年数を物語る経年変化のリアルに朽ちた雰囲気といった、
レザージャケットの魅力が凝縮されています。
というわけで、私も、仕事に出動するイメージの時は、
その気になって、トム・クルーズのマネよろしく、G-1を羽織ってみるのですが・・・・・・、
ここに来て、重大な違いに気づきました。
言わずと知れた映画「トップガン」「トップガン・マーベリック」は、私も思い入れの強い映画で、
もう「トップガン」はもうかれこれ何百回も観ていて、
新作の「トップガン・マーベリック」も、はや数回。
ここまで観ておいて、やっと改めて気づいた、というか、今まで気づかなかったんかよ、と思うのですが、
あの映画に登場する、共に競い、共に闘い、共に成長して、
古典的で分かりやすくシンプルで、不変の感動と恋愛とヒーローの物語を創っていく、
あのトップガンに登場する精鋭達の物語は、
映画スタート時点で、すでに選ばれに選ばれたトップ中のトップ。
それぞれが、どうやってあの場にまで行き着いたのか、それぞれの人生の経緯や努力は、全てカットされて、
既に、才能・努力・運と、エリート中のエリート、選ばれし人達が前提の物語です(笑)。
何もない私のような人間が、どんなに、わざわざフルカスタムした、完璧な衣装を身に纏ったところで、
元が違うじゃんね、元が(苦笑)。
どんなに上っ面を装って頑張ったところで、そもそも、元がダメなんだよ、元が(笑)。
子供の頃から、ここまでずっと、人生そのものを、憧れの対象によって動機付けされてきた私にとって、
人生にせよ、経営にせよ、ヒロイズムや憧れを誰かに抱いて、追いかける歩み方は、
いつしか、あまりに普通になっていて、意識すらしていなく、
故に、大いなる勘違いが日常化しているという現実(笑)を、
59歳手前にして、やっと、というか、客観視して改めて気づかされるわけです(苦笑)。
よって、ダメだ、どんなに上っ面で頑張っても、全然違う(笑)。
正面見ると、さらに、全然違う(笑)。
どうあがいても、全然違う(笑)。
外見も中身も、やっぱり全然違う(笑)。
ダメだ、どう見ても、誰が見ても、全然違う(笑)。
型や形から入って、中身を追いつかせる、成長手法というのは確かにあります。
極めて正攻法で、そして早い方法でもあります。
しかしながら、型や形から入れば、中身もすぐ伴うかと言えば、当然そうではなく(笑)、
それが、長年にかけてまるで分かっていなかった私は、
だからスカスカなのか(笑)、という残酷な理解をここに来て直視させられるわけです(苦笑)。
いいから、実力で勝負しろ、実力で!(苦笑)
実力がないなら、実力を磨く努力をしろ、努力を!(苦笑)
分かりました、トム・クルーズ、そしてマーベリック、
中身を埋めて、それが外見に滲み出る、
オリジナルの魅力溢れて、誰かに憧れられるような人間になることを、
これからの10年、70歳になるまでの目標にして、ちゃんと努力します(笑)。
だから、お気に入りの映画は何度も何度も観なきゃいけないんだよな(笑)。
あぁ、すげぇ、カッコ悪い(苦笑)。