ここまでの3年と次の3年への架け橋はあるのか?

ゴールデンウィークが終わって、通常に戻るかな、と思いながら名古屋駅に向かったけど、

考えてみたら、今私が考える「通常」って何に対する通常なんだ?と考えながらの新幹線でした。

 

私はマイペースでいたいとは思ってはいますが、

どんなにマイペースでいようとしたところで、環境変化や市況というものには抗いようはなく、

コロナ禍ならコロナ禍の環境の中でのマイペース、にしかならざるを得ないわけで、

環境変化は面倒くせぇなぁ、と思いつつも、

それが3年も経つと、いつの間にかその環境が普通になるというくらいインパクトのある期間だったのだと思います。

 

そうなると、もう「今ここ」こそが通常なわけで、コロナ前と同じように、と願っていようが何だろうが、

今の範囲でのマイペースと腹を括った方がいいという、コロナ禍になった3年前の、私の予測通りと言えば予想通りの期間でした。

 

問題なのは、そんなことを思いながら、3年経ってしまったということです。

どういうことかと言うと、

仮に、そういうことを予測して、3年前に何か新しいことを始めたとします。

だとして、その結果が仮に良かったとしても、既に3年経ってしまったということです。

と言うことは、3年という一つのビジネスモデルの周期が一段落したとも言えるわけで、

だとすると、もう次のステージやフェーズに向かわないといけない時期になっているとも言えるわけで、

じゃあ、次の仮説に基づいて、今、何かを考えたり、仮説を立てたり、いくつかの実験の準備できてるか?となります。

 

今を必死で生きるが故に、あれよ、あれよ、と3年が経って、

次のことをまるで考えていない・・・、

この状況を、恥ずかしながら、私はつい最近になって気づきました。

この3年、私は私で頑張った自負はあるし、お陰様でコロナ前よりも業績アップの結果も出させて頂きました。

しかし、そろそろ次の仮説や実験の目途が経ってなきゃいけない時期に、いつの間にか来ていて、

にも関わらず、まだ見えていない、ということは、次への架け橋の、せめて設計の、さらに案のカケラまでは出しておきたいと、

やっと焦り始めたところです。

こういう時は結構一人苦しみますが、それもまた楽しい時期でもあるわけで、久しぶりにこの思い付きの苦しみを楽しんでみようと思っています。

脳天気に生きている分、ちょっとは悩めよ、ということでしょうかね。

この苦しみは結構楽しい。
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