2年間の継続の中で見えてきた明確な曖昧さ

2020年の4月6日に「Facebookライブ」をスタートしてから、

毎日連続配信し続けて、

つい先程、730回目の配信を終えました。

いつの間にか丸2年が経ったことになります。

https://www.facebook.com/100003022667400/videos/1320238958470955

 

ほとんどどうでもいい毎日の私の稚拙な動画にお付き合い頂き、

貴重な時間を割いて頂いている皆様には、心から感謝申し上げます。

 

「継続」というものは、誰にとってもそれなりに難しいことでもあるが故、

ある時は、

「継続は力なり」

と肯定的に使われることもあるし、

 

でも、逆に、人間は「一度始めたことを辞めにくい」という心理を持ち合わせているが故、

単にズルズル・ダラダラと続けているだけで、損切のタイミングの意思決定ができずに、

何の変化もせず、次への挑戦もせず、単に形骸化された日々を過ごしているだけのつまらない奴になっているとも言えます。

 

私は、50年の歴史を持つ家業の、三代目としての後継の仕事を、それまでと同じようなことを10年近くコツコツと継続して努力した結果、

「廃業」して途方に暮れるという経験をしました。

10年の継続をした結果です。

 

その後、リサイクルショップの経営で、10年間をあれこれ継続し、株式上場の経験をさせて頂きました。

これも10年間、様々な継続をしてきた結果です。

 

どちらも、変わりない同じくらいの努力の継続をしてきた結果です。

 

こういう経験をすると、継続というものが画一的に正しいかどうかなど、本当はどうなのかということは、

私には全く分からないし、知りません、というのが本音です。

 

一つのことを継続している人は、自分のやっていることを肯定化したり、自分を勇気づけたりするのに「継続は力なり」と言うのだろうし、

 

次々と切り替えていく人は、「変化が常態なのだ」と都合よく説得力を自他共に訴えたいだけなのできないか?

というところが本当のところなんじゃないか?と思うわけです。

 

要するに、結果を出した人は、何を言っても肯定化されるわけで、

 

結果を出した人から「継続こそ力なのだよ」と言われれば、私は、

「はぁ、そうなんですね。」

となるし、

 

別の結果を出した人が「いいか、次々と新しいことをまずはやってみることだ。一つのことに拘るな。」と言おうものなら、

「はぁ、やはりそういうものなのですね。」

と、私はもきっとそう思う。

 

本当のところ、自分自身に確信が持てるほどの、継続に対する絶対的な評価は、私にはできないわけです。

 

もし、私の今の実績を評価する人がいたとしたら、その人は継続することの素晴らしさを感じるのかも知れません。

逆に、私の実績などショボいと感じる人から見たら、いつまで同じことやってんだ、変化しない奴だな、と評価するでしょう。

そういうものなのだと思います。

 

とはいえ、二年間、一日も欠かさずやり続けてきた事実だけは残っています。

そもそもは、自分の次のビジネスの価値を生み出すためにスタートしたわけで、

その成果がどうだっかと言えば、確実にあったと言えます。

 

このライブがきっかけで、結果的に新たに生み出された「商品・サービス」と「顧客」の掛け合わせの相乗効果は予想以上で、

(ご縁を頂いた方に恵まれたというのが正しい)

ライブ配信のコスト自体はゼロで、この二年の間に、どれだけの売上・粗利の効果が出たかは、

その絶対額だけ見れば、確実に「継続は力なり」と言えるかも知れません。

(近しい方であれば、お聞き頂ければお答えします。)

 

ただ、それが、そもそも私が2019年に当初目論んでいた目標に達成しているかと言えば、まだほど遠いわけで、

個人的には、果たしてこれは、もしかしたら単なる惰性で、やめるにやめられないという領域の可能性もある、

すなわち、何らかの目的の為の効果的な方法ではなく、得体の知れない別の何かに代わってしまっている疑心もあるのが本音ですね。

 

ただ、こういうことを纏めながら、これこそが、二年やってきた結論とも言えるのですが、

この曖昧な状態は、極めて、私の理想的な状態になってきているとも言えるということです。

 

何かの成果の為にやっているかと言えば、すでに決してそれだけではなくなってきていて、

むしろ、ただやりたいから、無目的に、息を吸うかのように、ただやっているという状態とも言えるし、

 

じゃあ、本当に人生を賭けて損得抜きで、他人がどう思おうと、ただ単にこれが好きだから、やり続けていると言い切れるかと言えば、

毎日やってりゃ面倒くささを感じることもあるし、

何らかの成果や見返りや、他人からの評価をまったく気にしないかと言えば、

またここから始まる別のビジネス成果への期待や、人からどう思われたいか?というあざとさも、やっぱりあるわけです。

 

このどちらとも言えない状態を実感できるというのは、

「まるで、やりたいように好きにやってたら、結果ビジネスに繋がって、

あるいは、ビジネス目的だったかも知れないけど、やってることは好きで面白いからストレスがない・・・・。」

 

という、そもそも標榜している、私のビジネススタイルやライフスタイルだったりするわけで、

二年の継続うちに、知らぬ間に、その領域に近づいているのかも知れないなぁ、と気づかされたりもするわけです。

嬉しい誤算とも言えます。

 

何かを明確にしたくて始めたことが、

続けていくうちに、ますます曖昧で、分からなくなっていくというのは、

もしかしたら、本当は、実は、物事というのは、そういうものなのかも知れないという

世の中や人生の答えがあるような気もして、

それが感覚的に分かるとしたら、これはまた面白い発見ができそうな気がしています。

 

まぁ、1,000回くらいはやってみないと、やって良かったのか、悪かったのかの判断もつかないとは思っていますので、

明日からの731回で、三年目に入っていこうとはしています。

 

もしご覧頂ける方がいらっしゃれば、

今日の一日を生きて、ライブ配信できることに感謝しながら、続けていく予定ですので、

個人的な次のテーマを意図しながら、少しでも価値の高い内容にしていく所存です。

今後ともよろしくお願いいたします。

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