「カッコいい」は「カッコ悪い」

どうすれば、自分がより良く見えるのか?

カッコ良く見えるのか?

ということばかりを考えて、必死で練習して(笑)、

よく見てもらおう、よく見えるようにしようと、

必死で練習して、

 

きっとカッコ良く見えるだろうと、人前で練習の成果を出してみたら・・・・、

↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

誰も見てもいませんでした(苦笑)。

 

せいぜい、遠巻きに、いぶかしげな視線を感じるだけでした(苦笑)。

 

いや、むしろ、避けて通る気遣いをさせてしまうという、要するに、迷惑でした・・・・(苦笑)。

 

自分を、ちょっとでもよく見られたいという、ねぇねぇ見て見て私をよく見てという他者承認欲求丸出しの、はたから見れば哀れで滑稽な欲求と、

仕事をする上で、お客や同僚にとって失礼のないように配慮する、というマナーと、

冠婚葬祭やドレスコードが決まっている場のTPOに纏わる作法や礼上の問題と、

キャラクターやブランディングとしての演出上のコスチュームとして必要という側面と、

 

そもそも、似合ってるとか、似合ってないとか、

似合おうと似合わまいと、好き勝手にさせろよ、とか、

どんなに頑張ったところで、大して変わんねーんだよ、という問題と、

前の自分よりも、少しでも良くなった方がいい、という判断と、

いや、そもそも、誰もあんたのことなんて見てもいないし、気にもしてないし、どうだっていいことなんだから、という元も子もない現実と(笑)、

 

要するに、他人からどう見られるかという、

なさ過ぎれば、失礼にあたり、

出し過ぎれば、人として根本的な何かが欠落しているのではないか?と予測させたり、

 

そのあたりの明確な仕分けが、私にはよく分かりません。

 

分かりませんが、

私は、自分をカッコ良く見せよう見せようとすればするほど、

その姿を客観視した時に、恐ろしく滑稽でバカ丸出しに思えて仕方ない自分がいて、

そのラビリンスに悶絶します(苦笑)。

 

まだ40歳くらいの時、尊敬する先輩経営者との会話で、

「50歳になってもまだ革ジャン着てたらカッコいいよ。

でも、まぁ、ツヴォイ、分かってるとは思うけど、『カッコいい』ってことは『カッコ悪い』ということだからな。」

というのがあって、

そういう会話をできる方とのご縁があったことは本当に恵まれていたことだと思っています。

 

私はカッコ良くいたい(笑)。

だから、カッコ悪い(笑)。

カッコ悪さを自覚しているということは、

だから、カッコいい(笑)。

 

キリがないので、テメーの都合の良いとこで落ち着かせておきます(苦笑)。

 

 

要するにカッコ悪いわけです(苦笑)。
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