コロナ禍ビジネスの価値基準は極めて属人的
2ヶ月近くブログ更新していませんでした(苦笑)。
3月からのコロナ禍において、私も色んな実験と試行錯誤を繰り返しながら、
リアルとオンラインのミックスしながらのビジネス人生が進んでいます。
3月〜10月の経緯を大きな変化の一つは、
昨年まで中心だった、ご依頼型でのリアルな場での講演やビジネスセミナーは、100 %なくなり、
中心は、個別コンサルと、主催するグループ経営者コンサルと、オンラインサロンでの活動になっていることだったりします。
この変化の中での気づきはまた改めてアップしたいと思います。
これはこれで、とても面白く、勉強させて頂いていると実感しています。
コロナ禍において、それぞれの会社において、それぞれの状況に合わせた変化の経緯と、
今後のビジネスへの対策があって、その全てはとても勉強になるし参考になります。
リアルを中心に進めているところは、リアルを標榜するし、
コロナなどどこ吹く風と主張する場合もあれば、
リモートが中心になっているところは、これからもリモートを標榜するし、コロナ禍においても、
コロナ後においても正しい対応であるという自覚を感じます。
まぁ、誰もが、今の自分がやっていることを正しいと思い込めるかどうかということなのだと思うわけです(笑)。
私も、合宿する時は、リアルでないとできないことがあると納得しているし、
圧倒的に多くなったリモートでの対応をしている時は、リアルでワァスカやっているのは大丈夫か?と、
要するに都合良く自分を肯定化している程度の日々だったりします。
まぁ、そんなもんでしょう(笑)。
そもそも「不要不急」というのが、全くもって曖昧で、
仮に、「仕事は出るけど、遊びでは出ない」ともっともらしいことを言ったところで、
じゃあ、その仕事が、何をもってして「不要不急」かとなるかと言うと、
そもそも人間というものは「無駄」を創り出すことで「豊かさ」というものを創り出している生き物だ、
と言われてしまったら、元も子もないわけで(笑)、
そもそも人間の存在が「不要不急」になるだろよと、SF映画の「ターミネーター 」や「マトリックス」のコンピューター判断のような、
もっと元も子もない領域までいったりする考えもあるわけで(笑)、
定義が曖昧なものは、どこまでいっても属人的な価値観に委ねられてしまうのだから、
それぞれの主張があるのも、仕方ないと言えば仕方なく、
だから、主張したい人は勝手に主張すればいいのだろうし、
何も考えない人は考えなくていいと、私は私で、いかにも「事なかれ」的に無責任に思っています(苦笑)。
ただ、ビジネスを前提とした場合は、こういった人の言動や発言というものは、よく知っておきたいと思うわけで、
それは、ビジネスというのは環境にいかに対応していくかが大事であることを、
今までこれでもかと実感させられてきたからでしょう。
そう考えると、「環境」とは「他人の集合体」というのが、私の一つの見解であったり、一つの狭い領域、一つの狭い定義となっているのでしょうね。
まぁ、無責任という自覚はあっても、個人的な基準がないか?と言われれば、私なりにはあるわけで、
ただ、そういうことは、聞かれて初めて答えることだろ程度に思っているので、
聞かれたら答えれるくらいは考えておきたいと思っています。
ともあれ、ご縁を頂いて、関わってくださっている皆さんの、ビジネスや人生がより良くなることを心から願いながら、
私にさせて頂ける精一杯をさせて頂くことが大事だと思っているので、
やれることは全部やろうと改めて思っています。
こうして文字入力していくと、まるで無責任なのか、責任感があるのかないのか、よく分からんなと感じながらの久しぶりの投稿です(苦笑)。