人が集まる「始まり」と「終わり」の前にリーダーが決めること

娘が横浜から帰ってきました。

遅くなるから名古屋駅まで迎えにきて、さらに名東区の自宅まで送っていけ、とうるさいので、

名古屋駅まで迎えに行きました。

年末を感じる風物詩というのは人それぞれでしょうが、12月の私の場合は、これです(苦笑)。

 

新幹線改札から出てきた娘の第一声からの会話は、

「パパ、なんでヒゲはやしてんの?」

「んー、知らない。カッコいいだろ?」

「ふーん・・・・。パパがヒゲはやしてんの、初めて見た・・・・。久しぶりだね。」

「お、おん、久しぶりだね。」

って、なんか会話の順序おかしくねーか?(笑)

 

お仕事先での会社での会議や、グループコンサル、セミナーなど、多くの人と場を共有する機会は多いのですが、

私が進行を司ることも多くあるわけで、その際に最も重要だと感じるのが、前提となる「フレームワーク」です。

 

ビジネスシーンにおいて、人が集まるほとんどの場は、

「役員会議」とか「営業会議」といった「職位」が名称になる場合や、

「ビジネスセミナー」とか「グループコンサル」といった「大枠」過ぎて何をやるのか具体的に分からない場合がほとんどです。

 

はじめのうちは、集まる目的や、集まることによる成果はあって、それなりに回数は進むのですが、

時間の経過と共に、参加者はいつものように集まって、何も考えずに集まって、受け身になって、

最後には、「何のためにやっているのかわからない。」「意味がない。」「時間の無駄だ。」となることは多々あります。

かくいう私も何万回も経験しました(笑)。

 

この時間は何を目的にするのか?

この場で何をするのかの「枠組み」は何か?

どんな成果を期待したいから時間を使うのか?

それらをひっくるめて、私は「フレームワーク」と言っています。

「フレームワーク」ってのは、調べてみると、まぁ、「枠組み」とか「骨組み」とかの意味らしいのですが、

私の場合は、そこまでガチガチでもなく、

「今日は大体まぁまぁ、これを目的にして、その為にコレとコレとコレをやってみましょう。」

あるいは、そう決めている、程度のことですが(苦笑)、

(時々、『何にも考えてないような感じで、最初から決めてたんですか?』と聞かれることはある(笑)。)

それは、もしかしたら、「主旨」とか「目的」とも言う人もいるかもしれませんが、

まぁ、これがあるとないのとでは、同じ時間でも、参加者の参加意識と態度、時間の中身と出口が確実に変わってくることは経験上分かっています。

 

放っておくと、皆だんまり状態になったり、喋りたいことを喋り出す人もいて、気づいたら時間が経っている、

あるいは、集まってから「どうする?」みたいな(笑)。

あるいは、名ばかり議長が「何かありますか?」と、我先に聞く側に回ってリスク回避するとか(苦笑)。

誰も何も考えてないし、誰も自分は責任者じゃないと思っているけど、

とりあえず「会議名」と「参加者」と「時間」だけは、決めることはするものだから、

これが続くと、もう「年間泥沼コストムダ使い時間」の始まりとなりますね(笑)。

 

これは、主催者や招集者の責任と言えば責任で、仕事と言えば仕事そのものだとも思っています。

「何を決めたいから誰を集める」「何を話し合いたいから誰が必要」という、そもそもの発想があるかないかというのはとても大きいと思っています。

 

それだけ大切で必要だというのは過去の経験上で分かってはいたものの、

今のお仕事を始めてから、さらに改めて気づくこともあるわけで、私を呼んだ側の人から、「今日は何するんですか?」と聞かれることもあって(笑)、

「いやいや、それはこっちが先に聞く側でしょ。」と真顔で思うことも珍しくありません(笑)。

 

それくらい、

「何となく集まった方がいい」「集まってなんかやらないといけないんじゃないか」

という程度で、人を集めているトップやリーダーは多いのかもしれん、

あるいは、それがまぁ普通なのかも知れんな、ということですね(笑)。

 

ということは、私の仕事というのは、「最初のフレームワーク」の入り口を事前に考えておくことであり、

「最後のまとめ」の出口を時間中に考えながら纏めることであり、

ということは、

「仕事中の時間そのものが仕事」というより、

「その仕事の事前にどれだけ思考できるかが本当の仕事」

「仕事の時間中に何を纏められて、次の行動や課題に繋げられるかが本当の仕事」

と言えるとも言えます。

 

ってか、それが経営者の仕事の一つとも言えるし、リーダーの仕事とも言えるのでしょう。

 

とここまで分かっていれば、娘を迎えに行く前に、

娘との時間をどうするのかを思考しておけば、冒頭のような適当な会話にはならなかったとは思うものの、

かといって、迎えにいくのに、そこまで考えるかといえば、考えることもしないわけで(笑)、

まぁ、わけの分からん再会の言葉でも、挨拶の順序が多少おかしくても、

まぁ、久しぶりに嬉しそうな笑顔に会えたなら、それはそれでいいか、と思うのでした(笑)。

 

ちなみに、

「今回はいつまでいるんだ?」

と聞いたら、

「まだ分かんない。」

と言うので、

「分かんないって、答えになってないだろ。例えば、いくらなんでも、5月までとか11月までってことはないだろ。確定じゃなくても大体でいいから答えられるだろ。」

と言ったら、

「なんでそんな分かりきってるような風に聞くの?」

と、まったく会話になりませんでした(苦笑)。

 

 

会話になっていないコミュニケーションだな(苦笑)
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