「できるようになりたい人」と「できるまでやりたい人」は違う
私はこれまで、人の育成というものに、そこそこ長く関わらせていただきました。
その結果、明確に自覚していることがあります。
私には、「できない人を、できるようにする能力」はないということです(苦笑)。
研修やコンサルタントをしている人間が言うことではない気もしますが、できないものは仕方ありません。
何度説明しても、本人が分かったと言っても、結局できるようにならない。
最初は、教え方が悪いのだと思いました。
次に、伝え方が悪いのだと思いました。
その次は、仕組みが悪いのだと思いました。
いろいろ考えた末に分かってきたのは、そもそも本人が、
「できるようにはなりたい。でも、そこまではやりたくない」
と思っているのが前提ということでした。
「できるようになりたいです」
と言う人に、
例えばの分かりやすい定量表現ですが、
「では、できるようになるまで、毎日4時間やってみましょう」
と言うと、少し表情が固まります。
「場合によっては6時間です」
と言うと、視線が泳ぎます。
「8時間くらい続ける日もあるかもしれません」
と言ったところで、だいたい話が変わります。
「仕事もありますので」
「家庭もありますので」
「そこまでやる必要はないと思っています」
ということになる。
つまり、
「そこまではやりたくない」
ということですね。
これは別に、その人が悪いという話ではありません。
それで普通な話です。
欲しかったのは能力そのものではなく、能力がある自分の姿だった、というだけです。
英語を話せる自分にはなりたい。
でも、毎日英語を聞き続けるのは嫌だ。
痩せた自分にはなりたい。
でも、食事を変えて運動を続けるほどではない。
発信で仕事が来る自分にはなりたい。
でも、反応がなくても毎日発信するのは嫌だ。
経営が分かる自分にはなりたい。
でも、数字を見続けるのは面倒だ。
願望というのは、完成したあとの記念写真です。
覚悟というのは、そこへ行くまでの、あまり写真に撮りたくない時間です。
その二つの間には、例えば、4時間、6時間、8時間というできるようになるまでの現実が置かれています。
人よりできるようになる根幹は、結局のところ、一回あたりの集中度と継続性です。
才能があるように見える人は、人が途中で飽きたことを、まだやっています。
特別な方法を知っているというより、他の人が「そこまではやりたくない」と帰ったあとも、まだそこにいる。
だから差がつく。
非常に夢のない話ですが、現実はだいたい夢のない格好でやってきます。
では、育成や経営ではどうするのか。
私は、できないことを無理やりできるようにさせるより、その人がすでにできること、放っておいても続けてしまうことを、もっとできるようにした方がいいと考えるようになりました。
やりたくない人を、やりたい人へ変える。
私には、これもかなり難しい。
説明はできます。
必要性も語れます。
危機感も与えられます。
しかし、他人の「やりたい」を私が代わりに持つことはできません。
動機は貸し出せないということです。
採用でも同じです。
「何をやりたいですか」と聞けば、だいたい立派な答えが返ってきます。
面接室では、全員やる気があります。
見るべきなのは、その人が過去に何を長く続けたのか。
誰に言われなくても、何に時間を使ってきたのか。
うまくいかない時期に、何をやめなかったのか。
言葉で語る動機より、すでに使ってしまった時間の方が、たぶん正確です。
情報発信も、その意味では重要です。
自分が何をやっているのか。
どこで失敗したのか。
何を考え、何を続けてきたのか。
それを発信し続けることで、
「どうしたら、あなたみたいになれますか」
と言ってくれる人が現れる。
全員を振り向かせる必要はありません。
大勢が通り過ぎる中で、一人が立ち止まればいい。
そしてその人が、見るだけでは終わらず、自分の得意分野や知見や意欲を持ってやって来る。
育成は、そこから始まるのだと思います。
「そこまではやりたくない」
この言葉は、敗北ではありません。
自分が何に時間を使わないのかが分かった、ということです。
だったら、別のものを探せばいい。
街へ出る。
人に会う。
自然に触れる。
知らない仕事を見る。
自分が、できるようになるまでやってしまいそうなものに出会う。
「できるようになりたい」の後ろに、4時間、6時間、8時間が並んでも、それでも前へ出るもの。
それを、「やりたいこと」と呼ぶのではないかと思います。