ビジョンが先か?今日の具体的行動が先か?
一昨日の夜だったか、
長時間のお仕事が終わって、外に出てみたら、
お月様が掴めるくらいにデッカいなぁ、と思って、そしたら満月の夜でした。
明るいまん丸のお月様を見ると、なんだか宝石とか宝物に思えて、
掴めたら楽しいし嬉しいんじゃないか?と思って、よくこうやって自撮りして遊ぶわけですが(笑)、
実際には掴めてなんかいないわけで(苦笑)、
(当然だろ(笑))
それを、どんなに明確に克明に欲しいと思ったところで、
それは、単なる願望と言えば願望で、欲しい欲しいと言ってるだけで、現実には手に入ることはなく、終わるわけですね。
(当然だろ(笑))
「お月様を実際に掴む」ということなら、やっている方も、見ている方も、
できないことが当然すぎて、双方共に真に受けることはしないでしょうね。
正確に言い換えると、
「実際に掴めるに至るまでの、具体的な行動のシナリオが描けない。
即ち、その為の今日の具体的行動を起こさないから。」
とも言えます。
私は、経営においては、「ビジョンがあるかどうか」は前提としていて、
自分にも他人にも、そこを固めていくのに最も時間をかけると言ってもいいくらいで、
それだけ大事だと思っているからですね。
ただ、同じくらい大切なのは、ビジョン達成の為の「今日の具体的行動」とも言える訳で、
それをやらないと、前記した「お月様を掴む」状態になるということです。
「卵が先か?鶏が先か?」のような話になりますが、
ビジョンがあれば行動動機が発生して、実際に今日の行動を起こすのか?
今日の行動を頑張ってはいるけど、頑張っている理由が分からなくてなって、なんでこんな思いまでしてやらにゃいかんのかい?と思っているところに、ビジョンを創ることによって明確に理解でき、全ての意味合いが変わり、人生が変わるのか?
それは、結局、両方がリンクしないといけないのだろうな、と思っています。
これまで、多くの方々と関わらせてきて、改めて実感しているのは、
最低限、「今日を頑張っている人」の方が、結局のところビジョンは明確になりやすいし、
明確になった時の行動が加速する傾向が強い、ということです。
ビジョンというのは、「自分は何者で、どこに向かおうとしているのか?」という自らの問いを明確にするものだとすれば、
それは、自分が今生きている全てを、自分で明らかにするものとも言えますが、
さらに言うと、ビジョンを創ろうとする動機そのものがあるかないか?、
即ち、「なんでこんなことまでして、今日を頑張って生きなきゃいかんのか?」というほどに、
頑張って生きているかどうかに関わってくるのではないか?とも思えたりします。
これは、私が、期せずして、今の仕事をさせて頂くことになって、
新たに興味が湧いていることの一つでもあります。
そんなようなことを、
「まるで月を掴んでいるような画像を撮る」
というビジョンに対しては、必死になって、通り行く人に怪訝な顔だけされても、何度も自撮りするという、具体的行動をするも、
「本当にお月様を掴む」
ということには、明確なビジョンもないし、具体的行動も絶対に起こさないであろう自分を自覚しながら、思うのでした(苦笑)。