私は「後ろ姿」で語れない程度だから情報発信するのです(苦笑)
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「後ろ姿で語れる男」を表現しようとしたら、単なる「後ろ姿」なだけでした(苦笑)。
しかも、バッグが半開きでだらしないしな(苦笑)。
物言わずとも伝わる人になれば、どんなに素敵なのだろうとは思いますが、
私のような凡人だと、やはり、自分が何者なのかは、自分で伝えなければ、
誰も存在そのものすら認識してもらえないわけで、
存在がなければ、誰も相手になどしてくれません。
情報発信というのは、そもそもそういう問題に対するアクションだとすると、
一歩外に出たら、それは自分という情報を、多かれ少なかれ発信しているわけで、
そう考えると、そもそも生きているだけで情報発信しているとも言えます。
そういう意味では、えぇ年こいて、Tシャツにハーフパンツでほっつき歩いていていれば(苦笑)、そういう人であることを情報発信しているわけだし、
髪型もファッションも、顔つきから目つきから、発する言葉一つ一つ、
店舗外装や看板も、ホームページの色も、
こうしてブログやSNSで出している画像や、書いている言葉一つ一つも、
人前での立ち振る舞いや所作の一つ一つも、
朝礼で話す時も、講演で話す時も、人前で何かを伝えるわけだから、
全ては、自分という存在を情報発信していると言えます。
逆に言えば、どう見られたいか?ということを意図しまくれば、本人の本当の姿や心の中がどうあれ、適当に誤魔化すことはできるわけで、
それは嘘と言えば嘘となります。
情報発信する以上、どう見られるか?を意識することはとても大切ではあると思っているし、
ビジネスの現場となれば、なおさらでしょう。
でも、どう見られたいか?を意図するリスクがないか?と言えば、あるわけで、
これだけ価値観が多様化する時代となると、いくら意図して素敵な自分に見せようとしても、気に入られようとしても、
そうして出来上がった現象を好まない人はいるだろうし、むしろ嫌われたりする場合もあるわけで、
そうすると、どっちに転んでも、どうせ、好まれなかったり、嫌われたりするリスクがあるなら、
どうせなら、自分が本当に素敵だと思えたり、美しいと思えたり、楽しいと思えたり、カッコいいと思えたり、
そう感じることをそのままに発信した方がいいとも思えます。
だって、どーせ、批判されたり、嫌われたりするなら、自分の信じる価値観の方が、まだ合点がいく、程度ですけどね(笑)。
まぁ、このへんを行ったり来たりしながら、じゃあ、どうするか?ということが自分の価値観であり、選択なのだと思うし、
どうあれ、評価は第三者というのが社会なのだから、悩ましいのでしょうね。
私のような者を好まない、嫌いだ、という人はゴマンといるだろうし、
(もう麻痺するくらいに自覚はしている(苦笑))
でも、逆に、私のような者でも、遠方に関わらず、お仕事や講演にお呼び頂けることはあるわけで、
先日、何度目かの講演のご依頼を頂いた企業の方とお話ししていて、
「私の講演なんて、きっとあまりに無茶苦茶だし、調子に乗って下ネタも炸裂させる時もあるので、もうお呼び頂けないかと思ってたところです(苦笑)。」
と言ったら、
「いや、いや、いや、それが皆んな聞きたいんですよ(笑)。」
と、ご依頼主の方が言って下さって(笑)、
まぁ、それは持ち上げて頂いているのは百も承知ながら、
そう言って頂けて、現実にお仕事のご依頼を頂いる方がいて下さる以上、
喜んで、謹んで、いつも通りの自分の信じるままに情報発信していくお仕事は続けさせて頂きたい思うのでした。
(果たして謹んでいると言えるかどうかは分からんですけど(苦笑)。)
価値観が多様化していると言われる時代だからこそ、
何をもってして、正しいと言えるのか?美しいと言えるのか?素晴らしいと言えるのか?人に役立つと言えるのか?
そういった、自分個人の軸や価値観というものが問われるのだろうと思うし、
それは、リスクとも受け取れるだろうし、チャンスとも言えるのだろうと思っています。