ペラペラのマネか、マネに見える別の本物か

名古屋・栄の商業施設のエントランスに、

アントニオ猪木さんの、モノマネ芸人さんの、さらに1/1人形さんがいました(笑)。

こうなると、そもそも何が原型だったのか、よく分からなくなります(笑)。

 

なら、嬉しそうに自撮りすんなよ(苦笑)。

 

先に若い女性3人が、キャッキャッ言いながら、人形と一緒に撮ってたんだけど、

私が自撮りしようとしてたら、気を利かせて譲ってくれて、嬉しかったけど、

自撮りじゃなくて、同じポーズで撮ってもらえるようにお願いすれば良かったと、ちょっと後悔しました(苦笑)。

 

この芸人さんを、アントニオ猪木のパクリ・モノマネと見るのか、

キャラ人形にまでなって宣伝キャラクターになっているのだから、本物として見るのか、

その境目は難しい、と言うか、人それぞれの価値観があるのでしょうが、

こうして一企業の宣伝広告塔として、人形やポスター等で、一定期間を大々的に飾っているのだから、

すでにパクリの領域ではなくて、誰からも認められるだけの「本物」として認識されているといって良いのだろうな、と思います。

 

パクリとか、マネというのは、子供の頃から、一般には、あまり良い印象とはいえない風潮がありますが、

私は、人というのは、生まれてから今日までに出会った、人や出来事・経験からの様々な影響をパクっては、

編集をかけては、またパクリ、その連続をしているだけ、といえばいえる、と思っています。

生まれてからは、親の行動行為をパクリ、言語をパクリ、常識や文化をパクリ、とその連続の結果が、今を作っているわけで、

意識的であれ、無意識であれ、誰もがパクっているし、モノマネをしているといって過言ではないでしょう。

 

ほとんどの人がそうである前提にありながら、

しかし、でも、なぜ、

「上っ面だけでただパクっているだけの節操のない人」と、

「あの人は本当のことを伝えようとしている本物の人」

といったように評価してしまうという現実も、またあるわけで、

それは何がそうさせるのだろう?とも思ったりして、

それが最近の最も大きな興味だったりもします。

 

 

私のような昭和プロレス好きのみならず、プロであれ、アマであれ、

アントニオ猪木さんや、ジャイアント馬場さんのモノマネというのは、象徴的な形容であれば、まぁ誰でもできるわけです。

なのに、どこからか、それが「その人のもの」として認められる、

すなわち「本物」であると誰もが認めるだけの対象として一般に認識されることがあるわけで、

私が興味があると言っているのは、誰でもできるマネが、「本物」だと誰からも認められるというのは、何がどうなったらそうなるのか?ということであり、

そこにこそ、現代ビジネスにおける、もっとも大切な考え方のヒントがあるような気がしてならないのです。

 

講演・セミナー・業績アップ支援といった今のお仕事をさせて頂くようになってから、特に思うのですね。

儲かる業種業態に移行したり、流行りの商品をいかに扱うこと自体は、利潤追求の上では悪いとは思わないのですが、

そればかりを考えて実行するのが経営だと考えている所は、やはりマネや表層だけをコロコロと変えていくばかりで、

何も得ないまま、何もモノにならずに終わっていって、だからまた次を探し求めて、

そんなことばっかり続けて人生を送っている人を見ると、

この人、何がしたくて経営してるんだろう?何が楽しくて生きてるんだろう?と不思議に思えてしまいます。

次の何かがすぐ見つかるような時代ならいいのですが、放っておいても売れるビジネス形態や商品というのがもうない今の時代においては、

何をしていいのか、どう考えたらいいのなすら分からなくて、相当苦しいのではないか?と思います。

一見、同じような商品や業態に見えても、力強く突き進んでいる所もあるわけで、

その違いは何で、どこから来るのだろう?というのは、

猪木のマネをしているだけの人か、一見マネに見えて別の本物であるプロの芸人さんか、の違いと本質は同じだと思えるのです。

 

コンサルタントや講演家しかり、

知識だけなら、本でもセミナーでも簡単に手に入れることはできるし、

言葉だけなら誰でも使うことはできるわけで、

でも、同じ知識も、同じ言葉も、ただ使っているだけで表層だけと感じる人と、

表層だけの人と、同じ言葉や知識を使っているのに、聞いている人を魅了し、説得力もあるし、行動動機を駆り立て、実際の行動へと心動かす影響力のある人もいます。

この違いもまた、「猪木のマネか、猪木のマネをしているように見える別の本物か」と同義なのだと思っているのです。

 

本来は誰もが先人や誰かのマネしかしていないのに、

ただマネしてるだけのペラっペラの奴なのか、

マネしてるだけのように見える別の本物の人となり得るのか、

その違いはどこからきて、それを見抜くだけの心眼を持てるかどうかという問題は、

今後のどのビジネスにおいても、あるいは、生き方においても、とても重要であり、

探求しがいのあるテーマだと言えるでしょう。

 

ブログやSNSというのは、文字や画像といった共通の伝達手法で、全世界に発信されるのだから、

それは、まるで、猪木のモノマネ芸人の人形が、ペラペラの表層か、本物なのかを、見ている側が一方的に評価してしまうのと同じように、

全方向360度からの評価にさらされるというリスクや怖さもはらんでいるのです。

 

それだけに、自分がどう見られたいかという側面と、今の嘘のない本当の自分であるかどうかという側面と、

しっかり客観視できる視点や視座を持ち合わせたいと思うのでした。

 

 

てなことを考えながら、でも、やはり、どうして自撮りしようとしたあの時、3人の女の子に、

「すみません、撮ってもらえませんか?」

の一言がとっさに出てこなかったのだろう?と、

自分のやりたいことよりも、自分がどう思われるかを優先してしまった自分を後悔するのでした(苦笑)。

 

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