一方を突き詰めると反対側の光が見える
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生活している中で「こんなことができたらいいのになぁ。」と思うことを具体的に羅列していくと、そのほとんどが、何かのテレビ番組や本で見たことあるな、となって、すでに現実となっているか、あるか近い未来に恐らく実現しているだろうことが多かったりします。
未来に対して、こんなのあったらいいな、と思っていることは、その欲求すらも、とっくに凌駕している程のテクノロジーが発達していっているのだと思います。
これからの自社のビジネスの最大のライバルは、競合他社ではなく、テクノロジーだという見解もあって、今やっている仕事のほとんどは10年後には無くなっているだろう、という予測もあって、それはあながちウソとは思えません。
ただ、そうやって考えていく過程の中で、自分の欲求が全てかなう機能やサービスが実現したとして、果たして、その状態で自分の生活が全て満足するのか? という疑問も湧いてきたりします。
例えば・・・・、
子供の頃、夢にまで見た「ウルトラ警備隊員がつけていたビデオシーバー」(腕時計型のテレビ電話みたいなやつ(笑))は、気がつけば、いまこうしてスマホで機能としては当たり前のものとして手に入っています。
ところが、私は夢にまで見たはずのテレビ電話機能はほとんど使ったことがありません(笑)。
じゃあ、その夢はそもそも私に必要がなかったのか? となるとそうではないのです。
だって、私は、あの「ビデオシーバー」は、今でも欲しくて欲しくて仕方ない(笑)。
もしあれば、腕にはめておいて、突然「アマギ隊員がピンチなんだよ!」と、一人でやりたくなる欲求は消えてはいないわけです(笑)。
そうやって考えみると、生活の中での機能としては腕時計はいらないわけですが、古くからの機械式時計は何本も欲しいし(苦笑)、衣料品としての機能面だけを考えれば、革ジャンなんてのはもう着なくて良いだけの製品は山程あるのに、ご丁寧に昔ながらの製法をわざわざコストをかけて復刻しているようなのを、いくつも所有して、なおかつ欲しいとすら思っているわけです(苦笑)。
そうやって考えてみると、人の純朴な欲求というのは、未来に対してもっと便利で効率的になりたい、というものと、不便だろうが無駄だろうが「だって、欲しいもんは欲しいんだもん!」「だって、やりたいからやりたいんだもん!」というものと両方の軸があるんじゃないかと、私みたいなタイプは思えてしまうわけで、そこに、次の展開のヒントが生まれてくるような気がするのです。
自社のビジネスのこれからを考えていく上で、未来のより良いサービスや、未来にあるべき製品というのを突き詰めて考えて、突き詰めきってみると、それは、もう異業種の領域になっていたり、自社ではそのテクノロジーをオリジナルで開発するのは非現実的となったりするかもしれませんが、突き詰めることで、自社製品の本質というものの見直しになるんじゃないか?と思えた、ディスカッションの時間でした。
これからは、そういう思考をする時間を意図的に作っていく必要があるのだと思っています。
私は、そういう時間や思考を「コンセプト固め」と呼んでいます。