意図のない価値に感じる脅威と希望

AIで遊んでいると、

意図した結果になる道具として使っているつもりが、

予想していない偶然の産物の結果が出てきて、

自分が出そうと意図していた結果より、偶然の方が面白いじゃん、

あるいは、偶然の予測外の結果から新たな発想や思いつきの欠片が生まれる、

みたいなことが頻繁にあることは、ちょっと使っている人なら感じていると思います。

長年培ってきたスキルが、自分にはあると自覚していたいのは本人ばかりで、

何の経験もない人の方が圧倒的価値を創出してしまう、AI時代の可能性もリスクも、こういう時に何となく理解できます。

まぁ、偶然というのはあくまで偶然なわけで、再現性や継続性においてはどうか?という見解もあるかもしれませんが、

偶然の数が多くなれば、偶然が普遍となるので、時間の問題かと思っています。

考えてみれば、私程度の人間が、未来の成果に対して、どれだけ意図したところで、

無能な私の意図そのものは稚拙なのだから(笑)、成果に対しては、意図しない方がまだマシとなってしまうわけです(笑)。

ただ、この、無能な者が、何も意図しない偶然の方が、意図した時より成果を生むという現実は、AI時代の前からあるわけで(笑)、

単に、誰からも管理されることなく、自分が好き勝手やりたいという、不遜な動機で生きようとしている、

私程度のような人の意図というのは、

成果前提においては、アウトプットされたものは、ハナから価値などないわけで(笑)、

まるでAIに、

「バカが考えるからダメなんだよ。」

と突きつけられているようです(笑)。

よって、最近では、成果を前提とした意図は、私は自分で考えるべきではなく(苦笑)、

いかに意図なく、楽しく遊び続けて、うっかり棚からボタ餅とか、運が良かった状態の方が、

結果、効率的なのではないか?と思ったりもする昨今です(笑)。

ただ、これは、私にとっては、脅威やリスクではなく、

「〇〇という成果が欲しいなら、□□をしなさい」という、

成果に対する「やるべき」論という、一番無責任で嫌いなカテゴリーから解放される期待が膨らみ(苦笑)、楽しみにしています。

また、誰かに怒られそうな見解ですけど(苦笑)、本音と言えば本音です。

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