「何でもできる機能」時代に比例して悶絶する「自分の人生が問われる」問題(苦笑)
私は、せいぜい2つ程度のAIアプリしか使っていないので、AIのことは語れませんが、
でも、AIアプリのバージョンアップ情報が入ると、ビックリするほどに飛躍的に機能が上がっていて、
もう、ホントに何でもできるようにちゃうんだろうな、と思って、使い方を憶えて、機能を使いたくなるんだけど、
「何でもできる機能」ってのは、
「やりたいこと」がないと、
「何でもできない」ってことになるので(笑)、
私に、何かやりたいことがあったっけなぁ、と考えてみると、特になかったりする(笑)。
「何でもできる」便利な時代に問われるのは、
より「何がしたいのか?」
より「何が言いたいのか?」
より「何が伝えられる自分なのか?」という、
人としての根本の「一日一日の人生で何を積み重ねてきたのか?」というような「そもそも論」のカテゴリーになるので、
外側だけの体裁で何とかしようと生きてきて、中身が薄っぺらい私のような人間にとって(苦笑)は、
より深刻になるのではないか?と思うわけです(苦笑)。
「何でもできて希望溢れる時代」のはずなのに、
「凹み続ける不安だけが身を包む」(苦笑)という、
この得体の知れない泥沼感(笑)は、なんか懐かしいなぁ、と思えることはあって、
例えば、ホームページやの出現で
「これで世界中の人に我が社の商品がとんでもなく売れる!」
と思って、やってみたけど、
「コストだけ使って、売上変わんねぇじゃん」問題や(笑)、
色んなSNSが次々とできて、
「これで何でも発信できるし、沢山の個人と繋がれて、自分自身が直接売れる!」と、思って、すげぇ無理して頑張って投稿したはいいけど、
「なんで誰も相手してくれないの?」と凹む問題(笑)あたりがそれに当たったりします(苦笑)。
この当たりの問題の、これからの自分はどうしていけばいいのか?の設計と取り組みは、誰もがしていかねばならないと思ってはいますが、
20代・30代・40代・50代・60代でも違うし、一人一人それぞれの人生においても違うとも思っています。
で、他人様の事はいいとして、60歳を越えた自分のことを考えると、絶望感しかないわけで(笑)、
だけど、どうするの案出しと選択肢の欠片を増やす「あがき」と「実験」をしているところです(苦笑)。
また、このブログや、オンラインサロンのzoomミーティングでアウトプットしたいな、と思っていますが、
言語化するのが、これまた面倒くさいときて(苦笑)、悶絶は続きます(苦笑)。