「AI」と「感情」の狭間で悶絶する根本的な自分の問題(苦笑)
そりゃ、AIは楽ですね。
ちょっとでも使ってみた人は、様々な意味で良く分かると思います。
何より他者との関りに対するストレスが全くありません。
しかしながら、楽だからといって、自分の周りがAIと機械だけだと、満たされない何かがあることも、誰もがすでに分かっています。
この、一人一人、あるいは同じ人間でも事象によって虚ろに揺れ動いていく「感情」とかいうのが面倒くさくて、
満たされないが故に、都合の良い他人を求めるのだと思います。
まぁ、例えば、自分が楽しい、とか、愚痴を聞いてくれるとか、自慢話を聞いてくれる、とか、今の感情を受け止めてもらえる、とか、思い通りに何かを叶えてくれる、とか、自分を一方的に認めてくれる、とか、労せずお金をくれる、とか・・・。
ところが、感情吐露を求め、気の済むまで共感しもらう側の時は嬉しいけど、
逆の時は、自分の感情は置いといて、相手の感情を優先するわけだから、だからシンドイのでしょう。
AIは、まだ機能的には完璧でない部分はあるにしても、時間の経緯と共に良くなっていくことは予測できます。
そうなると、他人の感情を受け取れるだけのキャパシティを持った人が、
一緒にいたい人、会いたい人、誰から買いたいか、
となっていくだろうから、こればっかりは、
「できるところまではできるけど、それ以上はできない」
という、一人一人の、生まれつきと、人生の体験・経験による個体としてのも限界があるだろうし、
お金と時間の余裕も大きく影響するでしょう。
となると、時間とお金を効率化するために
「AIで楽々〇〇」
なんていう動機は発生するのだけど、
その〇〇で成果が出るまでに、求める「感情」が出てきてしまうという、
結局、どこが振出しなのかすら分からない沼にハマる問題は付きまとう。
特に、私のような、
「他人の気持ちなどどうでも良くて、自分さえ良ければそれでいい。」
というタイプの人間は、どうしたらいいんでしょうかね?と、
こうして、AIで動画を作り捲っていると、よく思うのです(苦笑)。
やれば分かる、というけど、何が分かったかと言うと、
今のところ、自分の愚かさだけが、よく分かるに至っています(苦笑)。