希望の言葉は残酷な現実に向き合うとも言える(苦笑)


どんなに面倒くさくて、やりたくないような作業でも、

一緒にやる相手が誰かによって、やりたくて、楽しくて仕方ない時間に変わるわけだから、

そりゃ、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」だ、と言いたくなるけど、

その、選ばれるだけの「誰」になれるかどうかという点において、

そっちの方が、既に何ともならない、より残酷な現実が待ち受けている予感がして、不安に包まれているのは、私だけか?(苦笑)

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