雨が降る度思い出す私にとって大切なこと
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名古屋は昨日深夜からパラパラと雨が降り続いています。
雨の日に、手荷物の多いお出かけは、やっぱりちょっと面倒だなぁ、と気分が憂鬱になりますが、でも、まぁお気に入りの傘がさせるから、「ま、いっか。」とも思います(笑)。
「あ~した天気になぁれ」より「あ~した脳天気になぁれ」ですね(笑)。
雨の日に傘をさすようなことがあると、毎回、一瞬だけど必ず思い出すことがあります。
それは、今の私の人生の基本路線に大きな影響を与えている思い出でもあります。
私は傘屋さん(メーカー卸)の3代目として生まれてきて、社会に出てから5年余りのアパレルメーカー営業を経て家業に戻りました。27歳の頃です。
その時点で「坪井商店」はもうすでに赤字経営に陥っていて、既存の商品だけでは将来がないことや、旧態依然とした体制にも限界を憶えながらも、何とか急場凌ぎの頑張りで単年度の黒字化へ向かって動いていました。
まずは、祖父がつくった会社の暖簾を守ることや、子供の頃からお世話になっていた20名程の馴染みの社員さん達への恩返しをせないかん、と思っていて、その形は黒字化であり、単年黒字の継続であり、継続とはいつまでかと言えば、父はじめ古株社員さん達が定年退職するまで、とおぼろながらの基準はあったように思います。
将来の自分のことは、その見通しがついてから考えた方がいいと言い聞かせていました。
こうして纏めてしまうと、美しい話のようにも聞こえますが、逆に言えば、どこぞに被害者意識を持ちながら、表向きは使命感に満ちたヒーロー気取りは都合が良かったし、後回しにしていた自分の未来は、そこまでしてやりたいと思えるほどのものはなかったというのも本音のところだったはずです。
それでも、まぁ、何とかせにゃいかんと頑張っていたので、その甲斐あってか数年後には黒字へと転換しました。
単年2,500万円の赤字はなかなかひっくり返せませんでしてが、5年後には4,500万円の黒字を計上させて頂くことができました。
でも、5年間の累積損失の額を戻すには至っておらず、その頃からですかね、自分と会社の将来のことをちゃんと考え始めたのは。
経営を黒字化する使命感には燃えていたし、経営者勉強会の人達から無理だと言われれば言われるほどに天の邪鬼精神に火がついて(笑)、逆転へのモティベーションは上がって、黒字化こそはしましたが、ただ、誰かの為だけに頑張っているだけで、そこに無償の楽しさや自分の未来を感じられはしませんでした。
後継者として美しくはあったかも知れませんが、当の本人が楽しかったか?と言えば、辛いのを我慢しながら頑張ることが美徳のような感じで、苦しさに包囲されているような感覚でした。
年齢的な順番を考えると、まず父がいなくなって、20名程の社員さん達も年齢順にいなくなって、こんな衰退産業の断末魔の会社、好んで入ってくる若い人なんていないだろうし、そしたら最後の一人になって、気がつきゃ自分も50歳くらいになってて、その時になってどうしようかなぁ、とか思いながら途方に暮れてショボくれている自分が予想されたりすると、俺はそんなことしたくて生きてるんじゃねーよなぁ、まっぴらゴメンだよ、だって、俺ってホントはもっとスゲーはずだったんだから、そんな人生、後悔するよなぁ・・・。
子供の頃に、将来はウルトラマンか仮面ライダーかどっちになろうか本気で悩んでいたあの頃の純粋な自分を裏切るワケにはいかんよな・・・・、とかそんなことを考え始めていました。
きっと、周りの人達からは「自分を殺して親の商売を地道に引き継いだ親孝行の立派な息子さん」と評価されるだろうけど、将来、一人で傘屋さんをやっている自分には、どうしてもワクワクするものがありませんでした。
方法として社内で別事業を立ち上げれば良かったのかも知れませんが、「傘」や「雨具」と全く関係のない製品を扱ったりするのは、周りの理解は簡単には得られないだろうと思っていたし、何だか逃避するように見られるのが嫌で、何より、やっていけるだけの勝算がありませんでした。
そんな感じの月日を送りながら、何とか、今のビジネスと関連付けさせながら、将来の自分の人生も連動できるような、理念というか、ビジョンというか、コンセプトというか、そんなようなものを模索していました。
ある勉強会の手法をヒントに、商品として扱っている「傘」って本来は何なんだろう?と、最初にそれを考えました。
何度も考えては、色んな角度から思いついたことを、思いつくままにノートに書き出していきました。
最初は製品の機能のことばかりしか出てこなくて、それは、例えば、「傘」は雨風から身を守るモノとか、生活を便利にするモノとか、そういうこと。
でも、それがなくなってくると、次第に、雨の日に大切な人を守る為のモノとか、相合傘なら人と人を近づけたり、愛を育む大切な要素になるとか、子供の頃の映像が蘇っては、学校の下校時間に突然の雨が降るとお母さん達が傘を持ってお迎えに来てて友人達がとっても嬉しそうだったこと(ちなみに傘屋の息子の私だけは、母が小売店をやってたから忙しくて迎えに来てくれなくて、一人濡れながらトボトボ帰った切ない思い出しかなかった(苦笑))、そんなことも思い出しながら、「あぁ、傘ってのは、本来は誰かと誰かの大切な思い出とか、嬉しさとか、距離を近づける大切な役割を果たしていて、傘屋さんってのは、そういうお手伝いをしてるんじゃないかなぁ。」なんて思うようになってきました。
時間をかけて書いて書いて書きまくると、目に見えるモノから、目には見えない大切なことが見えてくるんだなぁ、ということを実感していました。
しかしながら、どんなに素敵な理念を思いつこうと、現実は扱い商材が売れるか売れないかですから(苦笑)、具体的な一手に及ばなければ何の解決も見出せないというジレンマは継続するわけです(苦笑)。
そんなある日、家を出る前に雨が降りました。
坪井商店は、当時、中国製の低単価の輸入傘が商品の中心でした。
世の中でも、売れ筋の中心は、ビニール傘や低単価の傘でした。
でも私はファッションが好きだったので、研究用とか何とか自分に言い訳して(笑)、イギリス製の本格的な高額な傘を始め、有名ブランドや、アウトドアブランドの雨具というかウェアとか靴とか、全天候型とかの謳い文句の製品を買っては集めては、いつかこんな製品が作れたらなぁ、と思っていました。
雨の日用に買ったのに、雨の日に使うのは何だか勿体無いような気がして(笑)、使わずに大切にコレクションしていました(笑)。
雨が降ったその日、いつも使っている日常用の傘が手元にありませんでした。
仕方なく、初めて、イギリス製の素敵な傘を使うことにしました。
ついでに、オシャレなゴム引きのコートを羽織って、本格アウトドアのブーツを履きました。
その時、いつもと明らかに違う自分の気持ちに気づいた瞬間を、今でも鮮明に思い出します。
商売柄、それまでは、雨が降れば何より、「良かった、傘が売れる、もっと降れ。」が最初に浮かんでいましたが、その日に限っては、雨が降って自分の傘がなくて、ちょっと憂鬱な気分だったのが、「でも、ま、いっか、楽しみにしてたコレが使えるから。」と、ちょっとだけ嬉しくなれた自分がいました。
その日のいつもの道のりは、いつもとは全く違ったワクワク・ドキドキした気持ちで、いつもと同じ風景が全く違って見えて、新たな発見もありました。
大学生の頃、一枚の赤いジャンパーを買ってから外への積極性が増したことを思い出していました。
高校生の頃、美容室に行った翌日に学校に行く時のドキドキしていたことを思い出していました。
中学生の頃、新しいスニーカーで学校に行く時、いつもの道が違って見えてたことを思い出していました。
消費者だった頃は、あんなに新鮮なトキメキや戸惑いをモノから感じていたのに、いざ自分が売る側に立った途端に全て忘れて、こっちの売上や利益のことだけを躍起になってたんじゃないか・・・・?
それまでの必死さは、決して間違いじゃなかったと確信は持てるけど、でも一方で、何か大切なことを忘れていたんじゃないか?
とババババっと目の前に広がったような感覚に陥りました。
「雨や雪が降る日は誰もが嬉しくないけれど、でもコレがあるから、ま、いっか、ちょっと嬉しい。」
人がこんな気持ちになれる、と、自分が自信を持って定義できるモノ達なら、同じ傘メーカーでも、品揃えの基準そのものが変わってくるんじゃないか?
これからの自社の品揃えのコンセプトになってくるんじゃないか?
そう期待が一気に膨らんで、俄然、ワクワクしてきたのです。
これなら、今の目の前の商品・ビジネスとリンクしながら、自分が楽しいと思える未来が見える。
今をちゃんと頑張りながら、未来もちゃんと見えてくるから、今を疑わずに頑張ればいいんだ。
そう思い込めたんですね。
現実と未来が、もっというなら、自分の、過去・現在・未来が一本に繋がったようで一人勝手に興奮していたっけ(笑)。
やってること自体は変わらないのに、やっている側の気持ち一つで、仕事がまるで変わってくるってのを、この時、実感したものです。
まぁ、これでうまく行くかというと、そうは行かないのもまた現実で(笑)、私一人が何かが見えたところで、両親はじめ、昔ながらの周りの人達にしてみれば理解不能どころか、またアホ息子が何かワケ分かんないこと言い出した程度だったでしょうし、現実には今日のお仕事に追われながらですから、具体的な準備は遅々として、うまくは進まなかったんですけどね(苦笑)。
そうこうしている内に、結果としては廃業へと向かうというと憂き目にあう訳です(苦笑)。
しかしながら、その後に仕事となるリサイクルショップの経営において、この時の考え方が大きく影響したことは間違いありません。
この時の苦しんだ末に培った思考性があったからこそ、揺るぎない「店舗コンセプト」をウソのない自分の言葉で伝え続け、実践してこれたと自負しています。
結果として、このリサイクルショップは、10年余りで株式上場を果たしましたが、この店舗コンセプトを先に明確にすることで、私個人としては、株式上場まではブレることなく走り抜くことができたと思っています。
家業の廃業で苦しむ過程で培った思考や視点変換を駆使して、新たに始めた事業で上場というのはいいのか悪いのか分かりませんが(苦笑)、しかし、この一連の経験の中で、ここでいう「コンセプト」というものがいかに大切で、それがあるかないかで同じ業種業態でも、結果が全く変わってくるというのは確信に近いものがあります。
だから、私はご相談頂く方がいた場合、まずはこのあたりを徹底的に確認しにいくし、明確にしていくことを促していきます。
自分が商売で扱っているモノとは本来は何なのか?
店舗というものは、本来どういう意味を持つのか?
何故、今の仕事を始めたのか?
何故、辞めないのか?
目に見える現象と、見には見えない本質の一致はどこにあるのか?
自分にとって、過去・現在・未来を一貫させる不変のものは何なのか?
こんな話をあれこれ角度を変えては質問するし、具体的な経験談まで聞いたりします。
雨が降って、ちょっと憂鬱な気分になって、でもお気に入りの傘をさして、「ま、いっか。」とちょっと思って気を取り直す度、こんなことを思い出します。
ま、一瞬ですけどね(笑)。
でも、その一瞬には、こんなに多くのことが込められているんだろうなぁ、と長文を書きながら、改めて気づくのでした(苦笑)。
今や他社さんの傘をさしながらだけど(笑)、祖父と親父に、俺はやっぱり傘屋の息子で生まれてきて良かったよ、サンキュっと思えることに誇りと嬉しさを感じてしまうのでした。