「労せず得る為なら、どんな労もいとわない」という労が重要

「見てくれ」で損してねーか?

と、「これ」見る度にいつも思うのです(笑)。

なんか「いそぎんちゃく」っていうんですか?

あの海の岩とかにいるグニュグニュしたやつみたいなのが、子供のころから苦手で、

パブロフの犬状態で思い出してしまいます(苦笑)。

 

ただ、同時に、柑橘系の似たような他の果物とは明らかに違うものと、

私は完璧に認識しているわけで、

 

そう考えると、「見てくれの違い」というのは、

自己評価や他人の基準が、良かれ、悪かれ、どうであれ、

圧倒的な「独自性」とも言えます。

 

だとすると、ここ数年で気づいた、

私の頭頂部を客観視した時に、

「これハゲやないけ!」

とか、

「肉体がはげしくただれてきてて、ジーンズもレザージャケットも着れなくなるではないか!」

という残酷な「見てくれ」も気にしなくていいとなるんだけど(笑)、

 

他人から、どんなに

「『あなた』は『あなた』のままでいいんだよ。」

と言われたところで、

等の本人は、そうはいかなかったりするわけです(笑)。

 

それは、それそのもので良い、

「『あなた』は『あなた』のままでいいんだよ。」

という耳障りの良い言葉というのは合っている、

と私は片方で思うのだけど、

 

それで完璧に割り切れるかというと、そうはいかないのが人間だろが、という、

もう片方の、どうしようもない感情や欲求というものも、

確実にあると思うわけで、

 

もっとより良くなりたい、とか、他人から認められたいとか、

もっと儲けたいとか、もっとモテたいとか、愛してほしいとか、できれば労したくないとか・・・・・、

 

そういう、避けられない本能とか欲求とか煩悩みたいなものが「人間らしさ」とも言えると思うし、

ビジネスの根幹というのは、まさしくその本能を促進するものだと思っているので、

 

そういう意味で、なんでもかんでも

「『あなた』は『あなた』のままでいいんだよ。」

というのは、いささか無責任なアプローチとも思うわけです(笑)。

 

ただ、

「そうなれたければ、そうなるための努力はいなさい。」

となるのだろうけど、その努力もしたくない、という、

これまた「人間らしさ」バリバリの最低の根底が私にはあったりするもんだから(苦笑)、さらに面倒くさい(苦笑)。

 

「労せず、理想の自分になりたい」

などという不遜な発想は、

「労せず、業績だけは上げたい」

と同義だと思うわけで、

一般には、そんなもん無理だろ、となるわけですが、

 

せめて私は、

「『いかに労せず、実績だけを上げれるか?』の為なら、『どんな労もいとわない』。」

という、労だけは最後まで諦めないようにしたいと思うわけで(笑)、

 

でも、この支離滅裂ともいえるアホ発想・思考は、

これからの新たなビジネス設計において、とても重要なのだろうなと本音では思っています。

 

労しない為の労はいる(笑)。
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