口で言うほど本気じゃないのさ(苦笑)
スゲェ細い人形がいたので、横に立ってみたら、
思っていた以上に自分の姿が不細工でした(苦笑)。
レザージャケットがスパーンっとカッコ良く似合うように少しは痩せたい、と本気で思い、どんなに口では言っていても、
結局のところデヴなら、デヴはデヴです(苦笑)。
思っているだけ、口で言っているだけで、痩せるだけの行動を実際にしていないからですね(苦笑)。
じゃあ、本気で思っていないのか?と改めて問われれば、やはり、
「いや、これでも、本気で痩せたいと思ってはいるんですよぉ。」
とか何とか一応口では答えるのでしょうね(苦笑)。
そう答えながら、不規則に食べたいだけバクバク食べて(苦笑)、
甘いモノをポンポン口の中に放り込んで(苦笑)、
アイスコーヒーにミルクとシロップどばどば入れて飲んで(苦笑)、
夜はピーナッツとお菓子をボリボリ食べて(苦笑)、
運動など絶対にしない(苦笑)、
という怠惰で変わらぬ日常を送って(苦笑)、
そして、
「あぁ、何とか痩せられたらなぁ。」
と本気で思うわけです(苦笑)。
それを見て、
「えぇ、だから、あなたは本気で痩せようとは思ってなどいないのです。」
と誰かに残酷な現実を突きつけられて(笑)、
多少反省したり、腹を立てたり、不機嫌になったり、落ち込んだり、悩んだりして、
夜寝て、忘れて、また次の日から、変わらぬ同じ毎日を過ごすわけですね(笑)。
我ながら断言できますが、私は変わりませんね(笑)。
体型にせよ、業績にせよ、自分の生き方にせよ、
「このままではいけない、変えなきゃ、変わらなきゃ、変わりたい。」
と本気で思いながら、本気だと口にしながら、こうしてブログやSNSで書いて、私は変わるべく行動していると他人に伝えて、
私のように、そういう人はゴマンといるのでしょうが(苦笑)、
結果が着いてこない場合は、自分は変化に対して直接関わる行動は何一つしていなかったんだな、と認識した方が健全なのだろうと思います。
毎日、変わらぬ同じ人達と一緒にいて、大して変わらぬ場所に行き、「変わらなきゃね」と伝え合い、頑張るぞと決意し、
そして、実際の行動はそれまでと変わらない(笑)。
そういう日々を送りながら、変わるのか?というと、変わるわけがないわけで、
実際に変わるというのは、余程のことがない限り、そういうものなのだろうと思うのです。
私は、廃業経験がありますが、当時は当時で必死で変わるべく努力していた自負はあるものの、
本当に業績回復するだけの、適切で効率的な努力を行動していたのか?と、今改めて考えると、はなはだ疑問と言えます。
というか、結果的に廃業しているわけだから、正確には「行動していなかった」ということになるのでしょう。
そうやって、頭で分かっているつもりでも、行動していなかったと認めたくない感情はどこそにあって、
「いや、本気で業績を上げようとしていたし、その為の行動はしていた。」
と公には言いたくなる、という気持ちはあるわけです。
頭ではよくよく分かっていても、感情的にはまだ認めたくないということになるわけで、
それほどまでに「変わったか、変わらなかった」かの自覚というのは難しいことだろうな、と思うのです。
私が変わったことがあるとしたら、それは恐らく、
「変わろうと自分で意図した時」
ではなく、
「変わらざるを得ない環境に立たされた時」
だったのではないか?と思います。
変わらざるを得ない時というのは、慣れるまでは、何らかの我慢や激痛に耐えざるを得なかったりするわけで、
そういう経験があるからか、私は基本的には変わるのは嫌いだと自覚しているし、他人もまぁそういうもんなんだろうと思っています。
人は、変化はしたいと思いながらも、変化を嫌うという生き物なのではないかと。
変わりたいと思っていても、仮にそれが本気であるとしても、
自分一人ではなかなか変わることはできないのだろうなぁ、と思います。
自分で変わろうとして動いているうちは、まだ自分の範囲なわけで、
自分の範囲ということは、それまでの自分が選択しているので、
それまでの自分と何ら変わっていないから、変わるわけがない、ということですね。
ということは、変わらずを得ないほどの環境に敢えて身を置くか、
あるいは、自分以外の、実績を持った誰かの価値観や方法論に一定期間を矯正されるしかないのだろうから、
そんな面倒で嫌なことまでしなきゃいけないなら、まぁ変わらなきゃいいや、となるわけで(笑)、
なので、私は、このまま変わらないと断言できるわけですね(苦笑)。
それなら、いちいち書かなきゃいいじゃねーか?となってしまうので、
いや、違う、こうして自分を追い込みながら、ツヴォイはやっぱり本気だったんだ、と結果で証明してやろう、
目論んでいるのだ、ということにしておきましょう(苦笑)。