自分の人生なのだから自分で選択すればいいと思うのです
今日は愛知県・岡崎市の講演で、白のレザージャケットで登場しました。
(当然、暑すぎて途中で脱ぎましたけど(苦笑))。
オープニング映像が始まる直前のスタンバイしている後ろ姿です。
今回、私にとっては初めての全4回コースという形式で、講演させて頂いており、今日はその2回目でした。
せっかくのコース形式なので、一応、次回までにやっておいて欲しい課題というか、オススメの自己エクササイズを参加者の皆さんにはお伝えはしています。
でも、あくまでも私のオススメの方法であり、やってきても、やってこなくてもどっちでもいいです、という前提です。
私がお伝えできるのは、成果を上げる確定的な方法ではなく、
私が実際にやってきて効果があったと自覚している実践事例と方程式のようなもなものをお伝えしているだけで、
そういう意味では、いくつかある方法論の一つでしかありません。
もちろん、どの業種業態・事業規模・に関わらず応用効くことや、根幹や本質に関わることをお伝えしているつもりではありますが、
それも、まぁ、どこまでいっても、「私なりに」という枠組みの中であることに変わりなく、
私がただ提唱しているだけのこと、ということで変わりありません。
気に入ったり、面白そうだ、確かにそうかも知れない、と思ってもらえたら、やって頂ければいいし、
アホか?知らんわいそんなこと、時間の無駄だ、やってられんわい、と思えば、そんな人生の無駄なことは絶対にやるべきではないし、
もしかしたら、そういう場で何となく勉強している自覚を持つことそのものが目的の方や、
お付き合いで来ざるを得ない方も本音で言えばいるかも知れません。
だから、やってもいいし、やらなくてもいい、とそう思うのです。
何より、私自身が、課題提出に対して厳しい研修に何度も出たことはありますが、
課題提出の意義を感じることなく、課題提出の為の時間と思考を使わされることに強烈な苦痛と違和感を覚え、
それこそ人生時間の無駄だと思うことが多々あったからだと思います。
「真面目にやる」ということと、「選択が許されない」というのは全くの別物だと思っていますから。
えぇ年こいてから、わざわざ時間とお金をかけて勉強する場に出かけているのだから、
それくらいの選択は自分ですればいいと、私は思うのです。
無論、研修スタイルとして、ガチガチで課題提出を厳しくするのもアリだと思っていますから、それは好き・嫌いの問題であるということです。
そういう意味では、講演中に、前のめりで聞いて下さればもちろん嬉しいですが、
仮に、寝てる人がいたとしてもそれはそれでいいとすら思ってお話しています。
それは、前に出て伝えている側の責任であって、受け取る側は選択する権利があると自らに課しているつもりではあります。
私なら、つまらん映画観てるくらいなら寝てた方がいいと思うことがあるし、
むしろ、とっとと映画館から出た方が人生時間は有効だとすら思います。
実際には、最後の最後に何を感じるかが分からないから、観ておきたいと自分で判断するから、寝たこともないし、出たこともないですが、
それは、自分で、観るのか、出るのか、自分の責任で選択しているだけです。
同様に、どのビジネスセミナーでの話や、ビジネス書に書いてあることも、
私は、私がやってみた方がいいな、と思ったことはやったに過ぎないと言えるし、
その範囲で、やってみて良かったと思うことと、やってみたけど自分には合わないな、と思ったことのトーナメントで残った方法で、
さらに成果に繋がったと自覚して、これは誰もが絶対にやった方がいいと思う、ということをお伝えしているに過ぎません。
伝えている私自身がその程度なのですから、どの面下げて、自分の伝えた方法が絶対に正しい、これをやらねばダメだ、と言えるのか?と思うわけです。
要するに、人は、「自分のことは自分で選択したい」のだと思うのです。
だから、私がそうであったように、私が人様にさせて頂けるのは、
① 選択肢を増やしてあげられるかどうか?
② それなら自分にもできそうだと思える可能性を広げられるか?
の2点に尽きると思うのです。
先行きが不透明な時代というのは、文字通り、この先何をやったら成果が上がるのかが誰もが分からないわけで、
まずは圧倒量をやってみて、自分の中の具体事例を増やすことでしかチャンスは掴めないと思っています。
そんな時代に、これが絶対に正しい、それしかない、だからやれ、やらねば不幸になるぞ、なんて、
そんなこと言える方が、私は眉唾を覚えてしまう。
成果に対する責任よりも、自分のコントロール下に抑えたいという欲求だけなのではないか?と思えていまいます。
ホントの本当に成果に対して最終責任まで負えるんですかね?
負えるだけの覚悟があるとかないとかではなく、負えるんですかね?
具体的に言うなら金銭的な補填までできるんですかね?
私には絶対にできません。
してもらったこともありません。
だから、自分で選べばいいのです。
やるのも、やらないのも、自分で選べばいい。
聞くのも、寝るのも、自分で選べばいい。
そういう選択を一つ一つ自分で積み重ねながら、自分の人生を自分の責任で作り上げ、他人からの評価を受けながら社会で生き、そしていつか死んでいくわけで、
そんなことくらいは、自分の人生なのだから、自分で一つ一つ決めていけばいいのです。
そういうスタンスを持っている私という存在は、
果たして「個人を尊重している」となるのか、
果たして「無責任で冷たい」となるのか、
それは他人が評価することでしょうし、それこそ好き・嫌いの分かれるところではあると思います。
ちなみにですが、私がどうしても理解できないのは、
自分には厳しくされたくないけど、息子には厳しく鍛えてくれ、と依頼してくる親や、
自分には厳しくされたくないけど、社員や部下には厳しく接してくれ、と依頼してくる社長や、
そういうのは珍しくなく、そんなもん、自分は変わりたくないけど、他人は自分の都合の良いように変えてくれ、と言ってるようなもんで、
そういうことを真顔で言ってる人に対しては、気持ちは分からんでもないけど、そりゃ無理だよとなる時ですね。
少なくとも私には無理です。
と、まぁ、私のスタンスをここまで書いといて何なのですが、
この2回を終えた今回の研修にご参加されている皆さんは、相当に勉強熱心で前向きで、
これまでに相当な自らへの鍛え方をされている方々ばかりなんだろうな、ということを、実感させて頂いています。
既に立たれているステージが相当に高いと感じます。
そういう聴かれ方をしている方が多いし、たくさんメモをしている姿が目に入ります。
課題も、うまくいったかどうか別として、まずやってみたという話をいくつかお聞きしました。
よって、今日の講演も、ついつい私も熱が入って、バカっ話も炸裂させてしまって(苦笑)、時間オーバーしてご迷惑をお掛けしてしまいました(苦笑)。
反省しきりです(苦笑)。
私も皆さんの熱量に押されないように、残りの回も、できる限りでの全力で向かわせて頂きますね。
今日も岡崎商工会議所にお集まり頂いた皆さん、ありがとうございました。
また次回、お会いできるのを楽しみにしています。