仕事の「恐」は仕事の「快」で戻すのが健全じゃないのか?

この3日程で、

名古屋ー富山ー名古屋ー広島と移動して、2つの講演をさせて頂きました。

どれくらい動いたんだろう?と移動距離を見てみたら、距離にして約1,000Kmと分かって、

なんか売れっ子みたいじゃんね(笑)。

 

ご依頼を頂く日程を鑑みることと、2つの講演内容は、初回と2回目と異なるため、

ちょっと強行になるかとも思いましたが、

経営者団体様や企業様から、私なんかをわざわざご指名頂けるのは、とてもとても光栄で、

台風も直撃後で移動は緊迫したものの、無事終えることができて、一旦はホッとしています。

 

まぁ、名古屋に戻ったら戻ったで、すぐに新たなスタイルの講演が待っているので、

明日からはその準備ですが(苦笑)。

こう書くと、なんか売れっ子みたいじゃんね(笑)。

 

一応、グダグダな私も、それなりに頑張っているわけで(笑)、

なんで頑張れるかというと、それは、やっぱり、それぞれの地区でお会いできる皆さんが、いつもいつも、とても素敵で、本当に出会えて良かったと心から実感できるからだと思います。

 

私は常々、

「人は、自分の話は聞いて欲しいし共感して欲しい承認されたいけど、他人の話なんて聞きたくもない生き物」

だと思っていて、だから、私なんて、大して興味もない他人の話なんて、聴きたいなんて思ってもいないというのが本音なわけで(苦笑)、

でも、私程度の、ほとんど誰も知らないようなクソ野朗の話を、1時間とか2時間とか、多い時には5時間とか、聞いてくれて、

あげくお金まで頂けるなんて機会を頂けるなんて、そんな光栄なことなんてないわけで、

だから、必死になるというか、逃げ出したい程に必死になって、それくらいで当たり前だと思うわけです。

 

他人様に「あぁ、聞けて良かった。」と思ってもらえる話のヒントは、

過去、自分が、時間とお金を出してまで行きたかったり、会いたかったり、話を聞きたかったり、

子供の時からの、そういう対象にありますね。

そういう対象は、どんな要素を持っていたのか?

それを自分なりに解読して、仮説を立てて、実験していくことが、最も近いということになるのではないか?と思っています。

私は、そういう対象を総じて「憧れ」と言ってるわけで、だからビジネスには「憧れ」の存在が必須だと思うわけなんですね。

 

本番になって、人前に立ってさえしまえば、

子供の頃からの場慣れもあって、緊張も緊迫もさしてしませんが、

でも、準備をし始めて、実際にその場に立つ直前の瞬間までは、生きた心地などなく、

何度も何度も「こんな仕事、受けるんじゃなかった。」と後悔を繰り返し、

でも、すでに逃げることなんてできずに・・・・、どぉしよう・・・、

 

この感覚は、昔も今も変わることは一向にありません。

 

画像は、そういうヒリヒリ感や、ピリピリ感をら、思いっきり感じながら、余裕なく、会場に向かっていた時だと思います(苦笑)。

 

でも、何故、またご依頼があれば、お受けするのかと言えば、

講演が終わった後の、皆さんからの生のお言葉に、筆舌に変えることのできない、嬉しさや喜びや達成感や報われ方をするから、

要するに、脳が圧倒的な「快」を実感してしまうからなのだと思います。

 

だから、また、同じように逃げ出したくなるのが分かっていながらにして、

また、頑張れるのかとすると、

私は、自分一人だけで頑張ることなどできない怠け者で、

ご縁を頂ける方々に、「人として頑張る」とは、どういうことなのか?ということを教えて頂いているのだと思うのです。

 

そういうことを、改めて考えるに至るような、

今回も、新たな発見と、感謝がこみ上げる皆さんとの出会いがあり、

愛知県・岡崎で、富山県・高岡市で、そして、今回の広島での皆様に心から感謝しています。

 

お応えできるよう、本当の売れっ子になれるよう、頑張りますね(苦笑)。

 

本物の売れっ子になりたいね(苦笑)
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