モノの価値には「原価性」と「関係性」の2つがある
モノの価値は2つある
モノの価値と言うのは、
①その「モノの原価性」と必要から納得する価値
②その「モノと個人の関係性」によってのみ成立する価値
の2つがある、と私は規定してます。
(まぁ、「要するに『必要品』と『必欲品』のことでしょ。」という人もいて、そうなのかも知れませんが、
そうやって、他人の言う言葉を「要するに」、と別の言葉で丸めたがる人は、自分はもうそれは知っている高尚な人なんだ、と誰かに言わないと自己を保てない人なので面倒くさい(苦笑)。)
オイルライターとビンテージジーンズ
例えば、タバコなど罪悪だという今の時流において、オイルライターは、売れない商品の1つで、①になる。
でも、「このライターは俺の命をか救ってくれたんだ。」とか、「このライターは俺の生まれ年の製造年度で、50歳の誕生日に彼女がプレゼントしたくれたんだ。」みたいな対象になると、本人にとっては相場を越える価値があり、②と言えます。
展開すると、誰かにとっての昭和40年のゴジラのソフトビニール人形は、誰かにとってはゴミ以下で、誰かにとっては100万円でも欲しいということにもなり、
誰かにとってのボロ雑巾以下の布のビンテージジーンズは、誰かにとっては300万円の価値となる、
といったビジネスモデルの事例は、現実に存在しています。
大手企業とスモールビジネスのそもそも論
好みもあるでしょうが、私は、スモールビジネスは「②」の領域で行くべきだと思っています。
そもそも、①で勝てる人は、一般で言うところの頭のいい優秀な人でしょう。
学生の頃からちゃんと勉強して、いい大学に入り、大手企業に就職して、世界を対象に、より良いモノを、より安く、より多くの人に売れる製品を生み出せる資金のある元で、活躍できる能力を持っている人です。
対して、私のような、あっちでこっちと、刹那的な快楽を求める感情の赴くままに生きてきた適当以下(笑)の凡人は、一般で言うならアホでしょうが、
逆に言うなら、そういうアホな幾多の経験と、経験したからこその感情を、他の人よりストックできていると、理屈上ではあるけど(笑)成り立ちます。
ストックは生きてきた時間分ある
優秀な人が培ったストックもあるなら、
無駄でアホな奴でしか培えなかったストックがあるでしょ、という、屁理屈とも言える論法です(笑)。
(これを言うと、親や学校の先生には大抵は怒られました(笑)。)
「効率の価値」と「無駄の価値」とも言えるでしょうかね。
私は、経済における「無駄の価値」というのは極めて高いと思っていて、それは、人間が創り出すことのほとんどは無駄とも言えるという視点を持ってしまっているからです。
無駄の価値は、多様化しているこそあれ、故に市場数は多いと思っているので、
だから、この考え方というのは、好みではなく、極めて論理的で(笑)、ビジネス設計としては必須と思っているのです。
「やりたいからやってるだけ」の前提
よく、
「中小は大手と同じことをやるな」と聞きますが、
それは、
①「バカが頭のいい奴と同じことして勝とうとするな」
とも捉えられますが、私は、
②「頭のいい奴はいい奴なりに、バカはバカなりに、それぞれやってればいい。」
と認識しています。
それは、①だと上下感や劣等感を感じますが、私は、やりたいから勝手にやってんでしょ、だったら勝手にやってりゃいいじゃん、という並列の概念があるからでしょう。
勉強したいからしてるだけ、絵を描きたいから描いてるだけ、ふーん、という考え方が前提にあるのだと思います。
だから、仕事の相談で、「いかにして良くするか」は一緒に考えますが、
「もうやりたくない」と言われると、じゃあ辞めちゃえばいいじゃん、となってしまう傾向があります(苦笑)。
「モノと個人の関係性の価値」の弱点と対策
弱点は、他人から見たら、無駄なモノが増え続け(笑)、断捨離とかの世界とは縁遠くなり、
やれ道楽だとか、誰からも理解されない、という孤独感に見舞われること、
そして、何より、マネタイズできるまでの変換力や編集力の思考性が問われることでしょうね(苦笑)。
よって、私は悶絶して、実験している、といったところでしょう(笑)。
「お金の為に努力する」のか、「やりたいことをやり続ける為にお金の問題をどうするか」は、
似ているようで、方法が全く違ってきますから、まずはそこを明確にしておいた方がいいでしょうね。
問題なのは、明確になっていないことであり、
最悪なのは「やりたいこと」が明確でないことでしょう。
まずはここからなので、これはまた改めます。