他人と自分の接点の一致はそもそも可能なのか?
本来の本音は、どうでもいい他人の人生に、どれだけ本気で向き合るのか?が、
ビジネスの現場であり、そういう想いが伝わるかどうかで、誰もが必死になって、
理解などできない他人の事を、必死で理解しようと頑張っても、
価値観が多様化している昨今では、一人一人の価値観も感情も違うのはいいとしても、
感情の赴くまま、言いたいこと言っても、まかり通ってしまう風潮もあって、
提供側は、多かれ少なかれ、一人一人へのカスタムを、できる限りでやろうとするが、
それは、そもそもが不可能なことであるが故に、どんなに相手のことを考えて、努力して、頑張ったとしても、
それは相手の状態や、その時の状況によって、相手がどう受け止めるかに委ねられるという残酷な現実は変わらないわけで、
故に頑張ったところで、当然ながら外すことはあって、
そうなると、相手も自分も、誰もが、疲れ果て、傷つくわけで、
だから、自分はじっとして何もせずに寝てて、
AIロボットが、相手用の都合良いマスクの入れ替えで全部やってくれるようになりゃいいじゃんね、
人となんか関わらなくていいじゃんね、
全部、AIとAIがやり取りして、社会が回ってくれれば、もう何も面倒なことしなくていいから、それでいいじゃんね、と、
私は結構本気で思うのだけど(笑)、
そうなったら、それはそれで嫌だ、という人の方が多くて(笑)、
ってことは自分の都合や、都度の感情や価値観に合わせて、周りの人間が動いてくれれば、それでいいし、
自分の感情の捌け口で、他人の命を使えればいい、ってことなんすかね?
となると、
「はい、そうです。」と自覚もしたくない、となるから(笑)、
だから、やっぱり人間は面倒くさいと思うわけです(苦笑)。
人の美しさ、って何なのかが問われますね。
どこでもいいし、誰でもいいから、早くAIロボット造ってよ。
俺、ずっと何もしなくていいし、ずっと寝てるから(笑)。